「はっけよい、のこった」
あの一瞬の立合い、下手をすれば数秒で終わってしまう取組に、ずいぶんたくさんの要素が詰まっているようだ。作戦があり、駆け引きがあり、力を十分に出し切るための、あるいは相手に裏をかかれないための、精神力も必要だ。
そのためだろうか、小さいことは一概に不利ではなく、大きいことは一概に有利ではないらしい。相撲に体重別のルールがないのは、理不尽ではなく必要がないからだろうか。
「あまり食べるのは好きではないんですが、あと10キロ増やして、110キロくらいが目標ですね。軽いと体に負担が大きくて、怪我の危険もありますから」
「入門当初に体が大きいし、体重もあるから、余計なことをしなくていいと言われましたね。投げたりすると、むしろ膝に重みが乗りすぎて、危ないんです。
大きくて良いことですか? うーん、目立つし、ファンの方から凄いですね、と言ってもらえることですかね……。
損することはいっぱいありますね。建物、ドアとか、ぶつかりますね。服も、なかなかないですよ。好きなデザインとか色とか考えなくて、『入ればいいや』という感じですからね」
小さい人も、大きい人も、互いの違いを納得した上でぶつかり、戦う相撲。これがどういうことか考え込んでいた僕だが、ふと炎鵬関のお母様と話していた時に、ヒントをもらった。
「テレビでお相撲を見ていると、正直怖いですね。祈ることしかできませんから。やっぱり勝って欲しいし、怪我するんじゃないかとか。危ないと思ったら負けてもいいから逃げろ、と思っています」
−−息子さんがテレビで土俵に立っている、というのはどういう感じでしょうか?
「そうですねえ」と、お母様は少し考えてから答えた。
「でも、不思議な感じですね。力士、炎鵬というより、私にとってはいつまでも『中村友哉』ですから」
なるほど。そこに立ったら、守ってくれるものは何もない。土俵の上の力士は孤独だが、純粋な自分だけでいられるとも言えよう。小兵だとか巨漢だとか、日本人だとかブラジル人だとか、関係ない。
炎鵬は中村友哉、魁聖は菅野リカルドという、ひとりの人間として、生まれ持った腕力も、体格も、知恵も精神力も経験も、何もかもを総動員してぶつかっていくしかないのだ。そしてどちらかが勝ち、どちらかが負ける。可能性はどちらにも残されている。
やはり神様の前で、人間は平等なのかもしれない。そして、だからこそ相撲は、神様に近い競技なのかもしれない、と感じた。
炎鵬/えんほう
1994年10月18日生まれ 石川県出身 宮城野部屋 十両二枚目
魁聖/かいせい
1986年12月18日生まれ ブラジル出身 友綱部屋 前頭筆頭
にのみやあつと
1985年生まれ。小説作品に『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』。初のノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』が12万部を超えるベストセラーに
取材&文・二宮敦人
コーディネート・金本光弘
(週刊FLASH 2019年4月2日号)