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全身大やけどからF1復帰「ニキ・ラウダ」の不屈の精神
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.05.21 19:29 最終更新日:2019.05.21 19:29
5月20日、F1で3度世界王者となったドライバー、ニキ・ラウダが亡くなった。享年70。
オーストリアのメディア『Austria Press Agency』によると、ニキの家族は「アスリートとして、起業家としての彼の比類なき業績は、今もそしてこれからも人々の記憶に残り続け、彼の活力や率直さ、勇気は忘れられることはないでしょう」と声明を発表した。
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ラウダは、1971年にF1デビュー。1974年には名門フェラーリ入りし、1975年、自身初の世界王座に輝いた。冷静沈着で、マシンを調整する能力にも長けているラウダは「人間コンピュータ」とも呼ばれていた。
だが翌年、悪夢のような事故が起こる。1976年8月のF1ドイツGPで、ラウダは悪天候のなか、激しいクラッシュを起こした。その勢いで、マシンがフェンスを突き破って岩盤に激突し、爆発的に炎上しながらコース上に弾き返されたほど。
ラウダは全身に大やけどを負い、数日間生死の境をさまよったが、奇跡的に回復。それどころか6週間後にはレースに復帰し、1977年に2度目の世界王座を獲得した。
2014年、本誌の取材に対し、ラウダは、生死の境をさまよったドイツGPを振り返り、「人間誰でも『生きる』ことへの強さは持っているものだと思う。その強さは、特別なものではない。F1レーサーはレースに対するリスクを熟知している。そのリスクを理解し、生き続けるためにどうすればいいのか、を考える。それがF1なんだ」と力強い言葉を語った。
こうした強靭な精神力で、1984年にも世界王座を獲得。1985年に惜しまれながら引退した。
その後は、航空業界で経営者として活動する。自らパイロットライセンスを取得し、「ラウダ航空」の経営で成功するも、自社の航空機が墜落する惨事が起こり、経営権は他社に譲渡。
だがその後もあきらめずに「ラウダモーション」などの航空会社を設立し、経営を続けてきた。
生前、ラウダは「人間は成功より失敗からより多くを学ぶ。成功からは何も学べない」と語っていた。この不屈の精神が、ラウダをレジェンドたらしめた理由なのだ。