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もう一度投げたかった「津田恒実」カープロードに凱旋
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.06.10 06:00 最終更新日:2019.06.10 06:00
「自分が4歳のときに父は亡くなったので、思い出はほとんどないんです。母から聞くのは、『とにかく几帳面で心配性』という話(笑)。キャンプに行く際、チェックリストを何度も確かめながら荷造りしていたそうです」
5月30日、JR広島駅とマツダスタジアムを結ぶカープロードにオープンした「津田恒美記念館」。その設立に奔走したのが、冒頭で父親のエピソードを語る息子の大毅さん(30)だ。
「きっかけは、父のファンの方とふれ合うことが多くなり、『お墓参りをしたのですが、トロフィやグローブなどを拝見することはできないのですか?』という問い合わせをたくさんいただいたことですね。
父はシーズンで使ったグローブを、お世話になった方にプレゼントしていたそうです。唯一、このグローブだけが残っていて、これは翌年に使うはずだったそうです」
資金はクラウドファンディングで募集。目標額400万円を、初日のわずか5時間で達成した。
「最終的には1631人の方からご支援をいただき、約2600万円が集まりました。全国に父のファンが大勢いることに、あらためて驚かされました」
大毅さんも野球経験者だが、周囲のプレッシャーに苦しんだ。母親の晃代さんが続ける。
「つねに『津田の息子』という目で見られ、ストレスになっていたんでしょうね。一昨年、テレビの取材で『父親のことが嫌いになりかけていた』というコメントを聞いたときは胸が痛みました。
今回、記念館を造りたいと言いだしたのは、息子なりに父親への思いに区切りをつけたいのだなと感じましたね」
記念館には、野球にまつわるものから、学生時代の津田さんを知ることができるアイテムが並んでいる。以下でその一部を紹介しよう。
「弱気は最大の敵」という津田氏の座右の銘が自筆で書かれている。高校時代に対戦したチームの監督からこの言葉をもらったそうだ。
山口・南陽工業3年時の英語のテスト。先生が答案用紙にメッセージを残している。
キャンディーズの大ファンで、部屋にもポスターが貼られていた。また、定規を入れるケースには「ラン、ミキ、スー」と書かれている。「特に伊藤蘭さんが好きだったみたいです」(大毅さん)
偉大な父という重圧に悩まされた息子が、「広島に津田恒実が生きた証しを残すんだ!」と、奮闘している。
つだつねみ
1982年にドラフト1位で広島入団。1年めに新人王。1986年に抑えに転向し、22Sでカムバック賞。1989年に最優秀救援投手。1991年引退。1993年7月に脳腫瘍のため32歳で逝去。通算成績286試合49勝41敗90S防3.31
・住所:広島県広島市南区荒神町1-8-2F
・営業時間:平日10時~17時、土日祝10時~20時
※ホームで試合がある場合は試合終了後1時間まで営業時間延長
・休日:年中無休
・料金:大人500円、学生400円、小・中学生300円
(週刊FLASH 2019年6月18日号)