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何不自由なく夢を…「菊池雄星」支え続けた亡き父との27年
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.06.15 16:00 最終更新日:2019.06.15 16:00
菊池雄星のメジャーデビューを見届けるかのように、今年3月30日に父親の雄治さんが亡くなった。59歳だった。
「生前、父は私に野球に専念し、そのままチームの勝利のために頑張ってほしいと言っていました。私は父の願いに敬意を表し、全力で頑張り、残りのシーズンを父に捧げたいと思っています」
そうコメントを発表した菊池は、帰国することなくマウンドに向かった。
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菊池は幼いころから多くの習い事をしていた。水泳、書道、ピアノ、器械体操、そろばん、絵画教室、バレーボール、野球――。やりたいことは、すべて両親がやらせてくれた。
若いころ、バレーボール選手だった雄治さんは、バレーの道に進んでほしかったのではないだろうか。自ら少年チームの指導もしていたのだから。
しかし、小学5年の菊池が「野球がやりたい」と言うと、水泳以外の習い事はやめて野球に専念させた。
そして中学2年の冬、菊池は両親に「プロ野球選手になる」と宣言した。そのときすでに135kmのストレートを投げていたというから、まったくの夢物語ではない。
とはいえ親としては不安が大きいはずだが、雄治さんは、「何不自由なく、夢を実現させてあげたい」と息子を勇気づけたという。菊池が望む野球道具、専門書、トレーニング器具……すべてを買い与えてくれた。
それに対して菊池は、「プロに入って倍にして返す」と胸に誓った(倍どころかメジャー移籍前に1億円超の豪邸をプレゼントした)。
花巻東高校に進学することを決めたのも、菊池本人の意思だった。
他県の強豪校からの誘いがいくつもあったが、郷土愛の強い菊池は地元の高校、県内の選手だけのチームで甲子園での勝利を掴みたかったのだ。
もちろん雄治さんも応援してくれた。
菊池は入学式当日、恩師・佐々木洋監督に呼び出されてこう言われた。
「ドラフト1位で雄星をプロに送り出すことができなかったら、俺は監督をやめる。それは指導者としてのセンスがないということだから、高校野球から身を引く」
すると、それ以上の注目を集めた菊池は高卒即メジャー入りも視野に入れて、日米20球団と面談した。結局、「日本一のピッチャーになってから世界に挑戦したい」と日本に残ったのだが、そのとき初めて雄治さんが息子の決断に異を唱えたという。
「アメリカに行ってほしかった。日本だと1年めから結果を出さないと叩かれる。そんな姿を見たくない」
いつも背中を押してくれたのに俺の判断は間違っていたのだろうか――。雄治さんの言葉を思い出した菊池は、メジャー断念の記者会見で涙を流した。10年の時を経て願いがかなったいま、雄治さんは天国で笑っている。