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前田日明が語る「長州力」顔面襲撃事件はヤツの自業自得

スポーツ 投稿日:2019.06.28 06:00FLASH編集部

前田日明が語る「長州力」顔面襲撃事件はヤツの自業自得

 

 伝説のプロレスラー・長州力がついに現役から身を引いた−−。引退興行がおこなわれた6月26日は、プロレス界にとって歴史的な1日だった。ともに伝説を作ってきた前田日明(60)に、今だから語れる「長州秘話」を聞いた。

 

 前田の「長州力顔面蹴撃事件」には、伏線があった。1983年11月3日、蔵前国技館で前田日明対長州力のシングルマッチがおこなわれ、前田は長州のフィニッシュホールド「スコーピオンデスロック」によって、レフェリーストップ負けを喫していた。

 

 

「(長州は)ガチッと極めて、俺からギブアップを取りにきた。これはマッチメイク破りだから、カチンときた。俺はこの試合で腰を痛めたんだ」

 

 リベンジの機会は、4年後にやってきた。1987年11月19日、後楽園ホールでの維新軍対UWFの6人タッグ戦。木戸修にスコーピオンデスロックを仕掛けていた長州の顔面を、前田は背後から右足で蹴り上げた。

 

 長州の顔は腫れ上がり、リング上には選手が入り乱れ、騒然となった。

 

「顔への蹴りなんて、よくあるカットプレーのひとつ。俺は(長州の)肩に手をのせて『蹴りますよ』と合図をしてから蹴った。そしたら(長州の)首が動いて、額を狙った蹴りが、顔面に当たったんだ。じっとしてればよかったのに。

 

 あのとき、俺が全力で顔を蹴っていたら、100%死んでるよ。実際には、30、40%の力だった。『ちゃんと合図したのに、バカだなこいつは』って思った。(怪我をしたのは)自業自得。俺のせいじゃない」

 

 前田は、長州との対決を「アングル(リング外を含む抗争)」だと考えていた。

 

「あのころ、俺たち(UWF)にはマイナス要素がいっぱいあった。新日本の経営が赤字で、立て直すために『UWFはいらない』と言われ、解体・吸収されるんじゃないかという憶測記事も出た。

 

 一方、全日本は、天龍(源一郎)と輪島(大士)の激しい試合(天龍革命)もあって、盛り上がっていた。天龍と輪島ができるのなら、前田と長州だったらもっと面白くなると思った。長州さんは頑丈な人だから、なんとかなるだろうと。

 

 本気で2人がやり合えば、そこからアングルができると思った。そうでもしないと、業界全体がこっちを向いてくれないから」

 

 UWFの若手レスラーや社員の生活を守るため、新日本に注目を集めるため、前田は過激なプロレスを仕掛けた。だが、この「顔面蹴撃事件」を重く見たアントニオ猪木は「プロレス道にもとる」と、前田を解雇した。

 

「現場の人間をも騙すのが、最高のアングルなんだよ。本当に揉めてる、ヤバいっていう緊張感が周囲に伝わって、さらにファンにも伝わっていく。俺にとって最良の師は、猪木さん。

 

 プロレスラーとして言っていいこと、悪いこと、やっていいこと、やらなきゃいけないことというのを、200%、最優秀の弟子として、守っただけ。それ以上でも、それ以下でもない。

 

 猪木さんが、タイガー・ジェット・シンに、自分たちを伊勢丹の前で襲撃させたことがあった。あれは緊張感があったでしょう。俺はそれを目指した。

 

 プロレスってね、自分のアングルに、いかに多くの人を巻き込むかの陣取り合戦なんだ。これをできる人がトップになれる。

 

 俺が自慢できるのは、自分のアングルを人に考えてもらったことは、一度もないこと。自分で考え、自分で仕掛け、緊張感を作ってきた。そのひとつが、長州さんだった」

 

 最後に、長州への贈る言葉を、色紙に書いてもらった。

 

「いま、一緒に戦ってきたレスラーが、どんどん亡くなってるからね。長州さん、『健康第一』で(笑)」


まえだあきら
1959年1月24日生まれ 大阪府出身 新日本プロレス、UWF、リングスで活躍。現在は、THE OUTSIDERのプロデューサーを務める

 

(週刊FLASH 2019年7月9日号)

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