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元ラグビーU20日本代表監督、コーチングで人材育成の妙に目覚める
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.10.13 11:00 最終更新日:2019.10.13 11:00
「第9回ラグビーワールドカップ 日本大会」が盛り上がっている。4年前は、強豪の南アフリカを破るなど、一躍ラグビー人気を高めた。今回、念願のベスト8入りが期待されているが……。
「この4年間で、世界のラグビーは劇的に変わっている。日本はマークされるし、厳しい戦いになる」
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そう語るのは、日本ラグビーフットボール協会で、“コーチのコーチ” である「コーチングディレクター」を務める中竹竜二さんだ。早稲田大学ラグビー蹴球部監督時代の2007年と2008年に、大学選手権連覇という快挙を成し遂げ、U20日本代表監督も務めた名将だ。
中竹さんがラグビーを始めたのは小学校1年生のとき。
「家の前にラグビースクールがあり、2歳上の兄が小学校1年生から入っていましたので、自然に始めていました。みんなで練習やゲームをすることが楽しかった。きついこともありましたが、やめるという選択肢はなかったですね」
福岡県出身。高校はラグビーの名門・福岡県立東筑高校、そして福岡大学へ進む。しかし、早大でラグビーをやりたいとの思いは強く、翌年受験して入学。4年生時には、主将をまかされた。
「私は小学生のころから、運動能力が低かった。なので、『いかに人の力を引き出すか、みんなに頑張ってもらうか』を、常に考えてきました。
主将に就いてからも、チームをどうまとめるか、選手の力をどう伸ばすかを考えていました。選手であっても、監督やコーチ目線で、チーム作りに関わっていたんだと思います」
卒業後の1997年に英国へ留学。
「最初は、語学学校に通うだけでした。『留学』と言って英国に来て、語学学校だけでは帰国できない。何か勉強しなければと、ロンドン大学で人類学を学びました」
だが1年後、人類学への興味を失い、学習助言をおこなう大学のチューターに、進路を相談した。話をすると、「あなたが学びたいのは社会学ね」と言い、レスター大学をすすめてくれた。同校はロンドンから140kmほど北の、レスター市にある、眞子さまも留学した英国の名門校だ。
「あとで知りましたが、面接をしてくれた3人の教授が、とても有名な方々でした。なによりも、履歴書と申込書をよく読んでくれていて、私の将来について2時間も真剣に議論をしてくれました。
入学当初、英語力に不安もあったので、担当教授の日本語訳された文献を取り寄せるところから、勉強を始めました」
レスター大学大学院社会学部の修士課程を修了し、2001年に帰国。三菱総合研究所に入社した。そして2006年、清宮克幸監督の後任として、早大ラグビー蹴球部の監督に就任。在任期間は4年だったが、早大を2度、学生日本一に導いた。
「レスター大で学んだこと、三菱総研でサラリーマンを経験したこと、早稲田の監督になったこと、監督を辞めて日本ラグビー協会に入ったこと、それらすべてが私の転機です。
私の思考を作ったのはレスター大時代ですが、その考えを世の中に発信できるようになったのは、早稲田を率いて優勝したから。優勝できたのは、監督初年度に負けたからで、それがなければ優勝もできなかったし、理論の構築もできませんでした」
2014年、企業のリーダー育成トレーニングをおこなう、(株)チームボックスを設立した。それまでも、講演や研修などでリーダー論を語ってきたが、あまり意味がなかった。そこで会社として企業の依頼を受け、幹部を相手に1対1で半年間、リーダーになるトレーニングを始めた。
「私は、レスター大で学んだ社会学の知見を生かし、人間に関する最先端の科学的情報を得るために、時間をかけるようにしています。自分の能力を理解している人もいるが、大半はそうではない。それを引き出したり、気づかせたりするのです。
リーダーにとって大切なのは責任感を持つこと。リーダーが変われば組織は変わる。この理念のもとに、トレーニングをおこなっています」
(週刊FLASH 2019年10月8日号)