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世界最弱レスラー「府川唯未」くも膜下出血から生還、2児の母に

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.02.09 16:00 最終更新日:2020.02.09 16:44

世界最弱レスラー「府川唯未」くも膜下出血から生還、2児の母に

現在住む逗子市の近辺、あぶずり港の海辺にて

 

 小柄な体格とキュートなルックスで、やられても、やられても、立ち向かう――。1990年代、「負けること」で人気になったレスラーが、府川唯未だった。

 

 16歳のときに全日本女子プロレスでデビューしたが、2戦めで鎖骨を骨折した。

 

 

「先輩にいただいたコスチュームがゆるくて、ズレてきたんです。下着が見えちゃって、気を取られていたら、受け身を取り損ねて。間抜けな骨折の仕方だったので、それで名前を覚えてもらいました(笑)。

 

 安静にしていれば3カ月で治ったのに、新人だから先輩の雑用なんかに追われて、復帰するのに1年半もかかりました」

 

 年間300試合をこなした。

 

「数えきれないほど試合をしたのに、勝ちは数えるほどしかなくて。大きな選手にマウントを取られると返せなかったし、手足も短いから、ロープまでほかの選手の倍かかる。まわりからは『世界最弱レスラー』と呼ばれていました。本当に悔しかった」

 

 1998年、アジャコングが旗揚げした団体「アルシオン」に移籍。関節技に磨きをかけ、徐々に勝ち星を増やしていった。だが2000年、試合中にくも膜下出血を起こして入院。翌年、現役引退を余儀なくされる。

 

「試合前から頭痛が酷くて、終わったら病院へ行くつもりだったんです。目が覚めたら病室で、医師からもうプロレスができないと聞かされました。プロレスしかなかった私は、空っぽの人間になったような気がして……」

 

 虚しさを埋めてくれたのは、プロレスラーの田中稔だった。

 

「下半身不随の可能性もあったんですが、彼は『どんな状況になっても、一緒にいるつもりだった』と言ってくれたんです」

 

 2002年に結婚。現在、2児の母として育児に励むかたわら、プロレスの解説、ファンイベントなどの活動をおこなう。2016年には乳頭ガンの手術を受けた。

 

「いまも3カ月に1度の定期検診がありますが、元気にやっています。長女も次女もプロレスが大好き。レスラーを目指さないように、ダンスやピアノを習わせて意識をそらせています(笑)。

 

 普通に大学に行って、就職して、結婚してくれたら嬉しいけど、でももし『本気でプロレスをやりたい』と言われたら、応援しちゃうのかな」

 


ふかわゆみ
1976年5月22日生まれ 神奈川県出身 小学2年のとき「クラッシュ・ギャルズ」に憧れ、プロレスラーを目指す。1993年、高校を中退し、全日本女子プロレスデビュー。アイドルレスラーとして人気を集めたが、2000年、試合中に頭部に大怪我を負い、翌年引退。現在は、2児の母として子育てに奮闘中。また、昨年、自身の大怪我の経験からプロレス事故防止・抑止セミナーを開催。夫はプロレスラーの田中稔

 

(週刊FLASH 2020年2月4日号)

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