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マネージャーが初告白「野村監督があまり人を褒めない2つの理由」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.03.21 06:00 最終更新日:2020.03.21 06:00
2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。これまでメディアに登場したことのないマネージャーの小島一貴さんが、生前の野村さんが「じつは認めていた野球人たち」について、本誌に明かした。
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私にとって氏は、野球、そして人生を教えてくれた師である。初対面は、野村氏が楽天の監督に就任が決まった、2005年のことだった。したがって、野村氏をお呼びするときは、いつも「監督」であった。
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楽天の監督を辞任したあとは、講演やテレビ出演、マスコミ取材にと、文字どおり引っ張りだこだった。マネージャーだった私は、毎日のように監督のお供をしていた。
監督の選手評は、辛口で知られている。仕事でもプライベートでも、めったに人を褒めることはない。だが、認めている “野球人” はいた。
●(1)落合博満
その筆頭が、落合博満氏(66)だった。「俺なんかラッキーで三冠王1回だけど、あいつは3回。考えられない。とんでもないやつだ」と絶賛していた。
そして、「監督・落合」も認めていた。たとえば森野将彦の件である。
「本人には悪いけど、俺は森野のよさがわからなかった。だが、使いつづけたことで、主力に成長した。井端(弘和)と荒木(雅博)のポジションを入れ替えたり、落合は『凡人にはない発想力』を持っている」
楽天の監督時代、交流戦で名古屋に行くと、落合監督のマネージャーが試合前に決まって、「うちの監督が、監督室で待ってます」と呼びに来た。
「いつも呼ばれるから、『ほかの監督のことも呼んでるの?』とマネージャーに聞くと、『野村監督だけです』と言うんだ。それを落合に聞くと、『ほかの人とは、野球の話はできないでしょ。野球でまともな話をできるのは、ノムさんだけだもん』と」
監督にとって、落合氏との監督室での野球談議は、至福のときだったに違いない。
●(2)大谷翔平
大谷翔平(25)への評価は、大きく変わっていった。デビュー当初は「二刀流? プロ野球を舐めるな!」と反対していたものだが……。
「あの活躍を見ていると、考え方を変えざるを得ない。160km以上の剛速球を、苦もなく投げられる。これは天賦の才能。腕が長いと、打者として内角を捌くことが難しいが、これもうまく腕をたたんで捌く。ワクワクするよ。二刀流? もちろん賛成だね」
3年めのオフには、雑誌の企画で対談も実現した。
「(本を読んでメモを取っていると聞いて)我々の時代には、こんな選手はいなかった。知識欲は大事。野球人としてだけでなく、人間としても。彼には感性が備わっている」
別れ際に「孫が喜ぶから」と、サインボールを受け取った笑顔が忘れられない。
●(3)田中将大
愛弟子たちは、やはり気になる存在だった。田中将大(31)も、そのうちのひとり。
「新人投手は、まず速球の質を見るんだけど、マー君の場合はスライダーに目を奪われた。投手陣が手薄だったし、『直接見ながら育成できる』と思ったから一軍に置いた。
初登板から3試合KOされたけど、負けがつかない。それで『マー君、神の子、不思議な子』と名づけた。
マウンド上の態度より、『打たれた後に悔しがっているか』『いい投球をしたあとに、有頂天になっていないか』が判断基準だった。その点でも合格だった。メジャーに行って、年俸は20億円を超えるんだろ。もう、マー君なんて呼べないよ(笑)」
自宅のリビングには、田中選手のヤンキースのサイン入りユニホームが飾ってあった。