●(4)宮本慎也、(5)稲葉篤紀、(6)山崎武司
監督としての「資質あり」と認めていたのは、宮本慎也氏(49)と稲葉篤紀氏(47)、そして山崎武司氏(51)だった。
「試合の前後、毎日のように室内練習場にこもって打ち込んでいたのが、宮本と稲葉。あとは真中(満)と(野村)克則。稲葉と宮本は、ほとんど褒めたことがない。
宮本の引退後に『早く監督になれ』と言ったら、『監督と一緒で処世術がないんで順番が回ってきません』と言われてな。宮本には監督になって、低迷するヤクルトを再建してほしいよ。
宮本は思ったことを口に出してしまうタイプ。宮本を監督にする球団は、最低でも5年はやらせてほしい。宮本イズムを浸透させるだけでも2年はかかる。こういう人材を放っておいてはダメだ。
稲葉は、外野出身なことが心配。でも、彼なら監督をやれる。野球を真剣に考えていた男だし、何よりも俺の指導を受けているんだから(笑)」
山崎氏には楽天時代、おおいに助けられたという。
「俺は楽天時代に、嶋(基宏)を一流の捕手に育てようと厳しく接した。相当悩んでノイローゼ気味になったとき、山崎がベンチ裏でアドバイスを送ってくれていたんだ。
中心なき組織は機能しない。山崎が楽天で4番に入り、核ができた。少々体が痛くても休まない。彼は、真のリーダーだよ」
「監督は一見、冷徹なようで、じつはとても人情味がある」という証言を多くの選手から聞いたが、私も同感である。
●(7)谷繁元信
谷繁元信氏(49)は、捕手として認めた数少ない存在だ。
「俺は彼を、『続きの谷繁』と呼んでいた。配球では、『速球、速球と来たら次は変化球かな』と打者は思うもの。逆もしかり。そこを、3つ同じ球を続けられると、打者は読みづらくなる。彼は、それがうまかった」
●(8)野村克則
そして、最後は息子の野村克則氏(46)。
「『克則君は、この両親のもとで、よくこんな好青年になりましたね』と、しょっちゅう言われた(笑)。彼が小さいころは、俺は家にいなくて親父らしいことはしてないし、高校も大学も寮に入ってたから、他人に育ててもらったようなもの。
克則が引退してからも、途切れなくコーチの仕事があるのは、本人の人徳だろうね」
監督は、「めったに人を褒めないのには、2つの理由がある」と、よく口にしていた。
「褒めることは難しいんだ。自分のレベルを知らしめることになるからな。一歩間違えると、『そんなことで?』と逆効果になるし、お世辞になりかねない。そうなると選手に舐められるし、安っぽくなってしまう。
もうひとつは、人材育成は『無視、賞賛、非難』で成り立つ。実力がないうちは無視。すると、なんとか見てもらおうと頑張る。少し力がついてきたら賞賛し、さらにやる気を引き出す。ただ、褒めるタイミングが大事だし、ひと言でいい。
レギュラークラスになったら非難。その程度で満足してもらったら困る。『まだできるんだ』という、メッセージを込めて非難するんだ」
監督が亡くなって、早ひと月が過ぎた。いまだ現実を受け入れられない。マネージャーになって5年ほどたったとき、監督の著書の原稿チェックをまかされるようになると、「お前なんかにできるのか」と、よく小言を言われたものだ。
だがある日、「まぁ、お前なら大丈夫やろ」とおっしゃってくれた。もっとも、そう言ってもらえたのは一度だけ。ほかに褒められた記憶はない――。
こじまかずたか
1973年1月2日生まれ 神奈川県出身 東京大学卒業後、MLBの通訳などを経て野球選手の代理人に。2006年から野村克也氏のメディア担当マネージャーに。現在、MLB選手会と日本プロ野球選手会の公認選手代理人としても活躍
(週刊FLASH 2020年3月31日・4月7日号)