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戦国時代の日本人は「奔放すぎる性生活」を謳歌していた!
夜バナFLASH編集部
記事投稿日:2016.12.17 20:00 最終更新日:2016.12.17 20:00
1632年、ローマで『懺悔録』が刊行された。作者はキリスト教布教のため日本にきていたスペイン人神父で、日本人キリシタンの懺悔を記録したものだ。
そのなかに、宗教上のルール「邪淫を犯すべからず」に背いた信者の告白が記載されている。
《二・三度は後(うしろ)(または)臀(しり)から落しまらした。その上、その女事(おなごこと)をば思い出(いだ)す度(たび)ごとに勇み悦び、その名残惜(なごろお)しさで自らも淫が漏れ、手ずからも漏らしまらした。》(岩波文庫『懺悔録』「六番の御掟について」より)
この書物には当時の日本人の話し言葉がそのまま記載されており、戦国時代はあんな行為をこういう言葉で表現していたんだと興味深い。ちなみに、「尻から落す」は肛門性交のことだ。
処女とのセックスに失敗した話も記録されている。
《また、別(べち)の女と一度科(とが)を犯しまらした。それは夫を持たいで、まだ男の道を見知らぬところで、初めからいやがったれども、あまり勧めたによって、終に落しまらしたれば、仕(つかまつ)るところに引き動(いご)かれたによって、え果しまらせいで、皿もうち割らず、ただ淫は外(ほか)に漏らしまらした。》
「皿を割る」は破瓜(はか)、つまりは処女膜を破ることで、これは江戸時代の艶本(えんぽん)でも見られる表現である。
面白いのは、懺悔という言葉とは裏腹に、この告白から反省の気持ちがあまり感じられない点。
原文の続きではさらに別の人妻2人との関係が記されており、またほかにも女性を見るたびに欲望がもたげ、あるとき強姦をしようとしたけど失敗した……と続くのだ。
懺悔だけに過激な内容ではあるが、この信者たちだけが特別に好色であったわけではないだろう。“異国の神”が罪をリセットしてくれるから、それまでの秘め事を天真爛漫に語ったまでで、一般的な庶民もこのような性生活を送っていたものと考えていいだろう。
一方、奔放な性生活を謳歌していたのは男だけではない。女性信者も赤裸々に告白している。以下、訳文を掲載しよう。
《男に、せめて裸を見せてくださいととにかく長いこと言い寄られたので、初めは、万が一にもそんなことをしてはと言って断わったけれども、結局のところ言い負かされて、その男に身を任せました。
そのとき、男が自分も裸になって私に抱きついて押し倒したので、肌と肌を合わせると、もうすぐに火が燃え立って、何でもしてしまおうと思ったけれども、もしヤってしまえば、万が一妊娠して名誉を失いはしないかと、面倒に思って、本番はさせませんでした。
とにかく中には入れさせないで、ほんの少し失敗して残ってしまったが、それ以外はお互いにしたいことをしたいだけしました。
そのうえ、私のほうから、お尻ですれば妊娠する心配はないと勧めて、男色のようにその男と何度も寝ました。》
この後、女性信者は結局この男とお尻ではなく普通にセックスをしてしまう。
さらに、「ムラムラきたら自分の指で慰める」「男に外見を褒められるとうれしい」「いい男と会って自分から寝たいと思ったことも3回あった」「襲われたときは手と口で」などなど、奔放な性生活をあからさまに語っているのだ。
(週刊FLASH 2008年10月14日号)