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【戦艦大和】沈没から71年「最期の電文」をスクープ入手

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.04.07 14:33 最終更新日:2016.04.07 14:34

【戦艦大和】沈没から71年「最期の電文」をスクープ入手

 

 乗員3332名のうち生存者は276名だった。いまから71年前の1945年4月7日。旧帝国海軍が誇った戦艦「大和」は魚雷19本、爆弾28発を受け、爆発・炎上、九州南西沖の海底に沈んだ。大和の最期を、生存者の1人である八杉康夫さんがこう振り返る。

 

「大和が沈んだとき、空には一面にアルミ箔をちぎったようなものが輝いていたんです。やがて、そのアルミ箔が降ってくる。大和の鋼鉄の破片でした。それに直撃されて、海面に浮いている多くの兵士が声もなく沈んでいった」

 

 大和はいまも英霊の魂とともに、水深345メートルの海底に眠っている。

 

 大和はなぜ敗れたのか。

 

「じつは暗号戦に負けたんです」というのは、戦史研究家の原勝洋氏だ。

 

「あの日は荒天で、普通なら米軍が攻撃を躊躇する天候でした。ところが、大和の行動は、通信傍受と暗号解読によって、ことごとく米軍に把握されていた。もし情報が洩れていなければ、大和は目的地の沖縄に到着して作戦を遂行できたはずです」

 

 原氏が米国立公文書館で発見した新資料には、米軍が収集した連合艦隊の暗号電文が逐一記録されていた。そして、当の米軍暗号解読班は連合艦隊から得た情報を誇らしげにこう分析している。

 

《数時間のうちに完全に準備が整えられた。暗号の解読と翻訳により、すべての情報はわれわれの手中にあった》

 

 原氏によれば、米軍は早くから日本の暗号解読に乗り出していた。

 

「太平洋戦争開戦の2年半前、1939年6月1日に日本海軍が新しいD暗号を使いはじめたときも、ちゃんと内容を把握している。もちろん、日本も暗号を解読されないように、乱数表を定期的に変えていた。

 

 しかし、米軍は上海、ハワイ、グアム、フィリピンなどに通信傍受局を設置して、情報を蓄積してきた。IBMの初期のコンピュータを使って暗号文を分析し、解読してきた」

 

 そして、大和を中心にした第二艦隊が米軍を沖縄で迎撃する「天一号作戦」が発令されると、米軍はいちはやく暗号を解読し、大和の行動はすべて丸裸にされていくのだ。

 

「JN25−P−051」。これが米軍が天一号作戦時に命名した呼称だ。JNとは日本海軍を指す。

 

「連合艦隊が天一号作戦のために新しい暗号を組んだのが4月1日。ですが、米軍は早くも3日には解読に成功している。だから、その後の大和の動きを逐一把握できたんです」(原氏)

 

 米軍が傍受した暗号電文は、ところどころ空白や事実誤認があるものの、詳細を極める。以下は、電文の原文を原氏がそのまま翻訳したものだ。

 

《4月5日 連合艦隊司令長官は以下の通信を第1遊撃部隊司令官と沖縄根拠地隊司令官に送った。

1、艦隊と第6航軍は、作戦決行日(6日以降)に沖縄周辺敵艦船を全力で殲滅せよ。

2、第8飛行師団は協力して攻撃を実施せよ。第32軍が敵上陸部隊に対し、7日に全力で総攻撃開始するだろう。

3、海上特攻隊はYマイナス1日に豊後水道より出撃。Y日に沖縄東部の敵の輸送船団への猛攻撃を完遂せよ。Y日とは8日である。繰り返す、Y日とは8日である》

 

《4月5日17時20分 第2艦隊参謀長より。6日に当艦隊に予定された出撃に関連し、1500トンの燃料を補給されるよう要求する──至急》

 

「この燃料補給の情報を得て、米軍は連合艦隊の作戦が遂行されると確信したはずです」と原氏は推測する。そして、米軍は新たな情報を得ながら、着実に攻撃準備を進めていった。

 

《4月6日07時51分

1、第1遊撃部隊の編成は「大和」と第2水雷戦隊(矢矧・やはぎ)と駆逐艦8隻とする。

2、海上特攻隊の豊後水道からの出撃開始時刻は第1遊撃隊司令長官に指揮されるものとする》

 

 このとき、第1遊撃隊が18時に出港し、翌5時に沖縄に到着する予定であることも米軍はわかっていた。もちろん通過ポイントも察知している。この暗号を解析し、米軍は《第1遊撃隊の編成が6日に決定し、日本の最後の宝である大和が、我々の射程内に入ったと知った》と記録している。

 

 そして米軍による航空攻撃が開始された。攻撃後、米軍はこう総括している。

 

《4月7日16時39分、一通の短い通信文が日本海軍の太平洋上の野望の終わりを告げた》

 

 日本海軍の野望の終わり。それはつまり連合艦隊の敗北だ。以下が連合艦隊最後の電文である。

 

《連合艦隊より 1、第1遊撃隊の突入作戦は中止。 2、第1遊撃隊司令官は(生存者を?)救助、佐世保へ帰投する》

 

 この電文の2時間ほど前に、大和はすでに沈没していた。

 

「米軍は、天一号作戦が本当は3月29日に予定されていて、それが4月6日に延期されたことも知っていました。さらに、大和がいつ出撃し、豊後水道を何時に通過するか、戦力はどれくらいか、目的地が沖縄で、到着はいつかまで、すべてわかったうえで攻撃を仕掛けてきたわけです。もちろん、電文を打っているほうは傍受・解読されていることは知りません」(原氏)

 

 実際に大和で通信士として電文を打っていたのが、都竹(つづく)卓郎さんだ。電文がすべて傍受・解読されたことを知って、どんな思いを抱いたのか。

 

「当事者として複雑な思いはありますが、山本五十六司令長官の飛行機が落とされたときも暗号が解読されていましたし、向こうのほうが読解能力があったのは認めざるをえないと思います。その点、日本海軍は楽観的にすぎたのかもしれません。

 

 ただ、負け惜しみのようですが、本当に一字一句、こっちの情報が全部取られていたとは思いたくない。実際、キスカ島の撤退や、ガダルカナルの撤退では、暗号を破られていない。我々もやられっぱなしではなかったということは言わせていただきたいですね」

 

(週刊FLASH 2013年4月30日号)

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