都会でなければアイドルにはなれない…。夢を諦めかけていた山口県の少女に訪れたチャンスがSTU48だ。グループ結成から5年たった今、かつての少女は八面六臂の活躍を見せている。精神的支柱となっているのは地元・山口への愛だ。その第2回。(取材&文・伏見 学)
地元からでもアイドルを目指していいんだ
「ふだんはこれがやりたい、あれがやりたいというのはほとんどありません。でも、今までの人生で自分からやりたいと主張して、譲らなかったのが、サックスを続けることと、STU48に入ること」
STU48のオーディションを受けたのも、親の反対を押し切った末の行動だった。その経緯を説明する前に、再び時計の針を小学生時代に戻そう。
当時、テレビの音楽番組で歌って踊るモーニング娘。やAKB48などを見て、瀧野さんは初めてアイドルの存在を知る。ちょうど同じころ、モー娘。のファンだった叔父がいて、親戚の集まりでよくトレーディングカードなどを見せてくれた。それがきっかけとなり、アイドルに興味を持つようになった。
皆を笑顔や元気にさせる、キラキラと輝くアイドルになりたいと、仲よしの友達と4人でグループを作って、アイドルのまねをして遊んだりもした。ただ、次第に現実を理解するようになった。
「学校でもモテるキャラではなかったし、かわいいと言われるような子じゃなかったから。また、AKB48さんは東京や博多、大阪など都会で活動していたので、やっぱり山口ではアイドルになれないなって思いました」
田舎では無理だろう。かといって、親に頭を下げて、一人で東京に行ってまでアイドルを目指す気もなかった。
「テレビにアイドルとして出るのは、都会に住んでいるかわいい子。あるいは、ダンスが上手だったり、歌がうまかったりする子。私はどれにも当てはまらない。なりたいものとなれるものが一緒ではないということがなんとなくわかってきた段階で、『あ、来世でなろう』と考え直しました」
救いだったのは、サックスがあったことだ。
「中学生になると、ひたすらサックスに夢中でした。アイドルの道を目指しちゃうと、楽器ができなくなる。楽器を諦めたくはなかった」
その言葉どおり、中学、高校と吹奏楽部の活動をまっとうした。しかし、心の片隅にはアイドルに対する憧れがずっとあった。大学生になってからのある日、実家に帰ったとき、姉がなにげなく教えてくれたニュースによって、それが一気に表面化した。
「お姉ちゃんが『STU48っていうのができるらしいよね』と言っていて。非公式の、秋元康先生とは関係ないアイドルグループなのかなと思っていたら、ゆきりん(柏木由紀)さんとか、まゆゆ(渡辺麻友)さんとかが、瀬戸内エリアの市長さんに挨拶していました。あ、これは本当なんだと」
瀧野さんの姉は、まさか妹が小学生のころからアイドルに心惹かれていたことなど、知るよしもなかった。その数日後、瀧野さんが広島に戻ると、街中にSTU48の告知ポスターが貼ってあった。
「ポスターに書かれていたのが、アイドルになろうではなくて、この瀬戸内からAKB48総選挙1位を出そうというメッセージだったんですよ。地元からでもトップアイドルを目指してもいいんだ、と驚きました」
やっとの思いで音楽大学に入り、そのうえでアイドルになりたいと言ったら、親はどんな顔をするだろう。でも、一度きりの人生だ。後悔はしたくない。悩み抜いた末、親には伝えずに、エントリー締切り日の夜に応募した。
「チャンスはあっても、なれるかどうかはわからないじゃないですか。だから、最初で最後のオーディションにしようと。入れなかったら、『あ、やっぱり今世ではなれないんだ』と踏ん切りがつくし。でも、受けないと、いつかSTU48が瀬戸内で活動しているのを見たときに、自分も応募すればよかったと、きっと何年たっても後悔するだろうなと思ったから」
家族に正式に打ち明けたのは、親の同席が必要だった最終審査の直前。だまされているのではないかなどとさんざん言われたが、最後は両親とも広島のオーディション会場に来てくれた。そして’17年3月、瀧野さんはSTU48第1期生メンバーに合格した。
③山口出身であることの誇り に続く
取材&文・伏見 学