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名曲散歩/「横浜銀蝿」道交法改正で暴走族からバンドに転身
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.05.10 16:00 最終更新日:2020.05.10 16:00
東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。
今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。
お客さん:お、このイントロは横浜銀蝿の『ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)』。あの頃、一世を風靡したよね! テレビで初めて見たときは怖かったなあ。
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マスター:もともとは横浜の暴走族だったからね。1978年に道交法が改正されて、走れなくなったのを機にバンドを始めたという。
お客さん:なんでバンドだったんだろうね?
マスター:目立ちたかったというのがひとつ。あと、暴走族だったころに「キャロル」も「クールス」も「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」もなんかしっくりこない。全開バリバリで聞ける曲がないなら、自分たちで作ろうというのがコンセプトたったんだって。
お客さん:デビューシングルは『横須賀Baby』で、『ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)』はセカンドシングルだよね。
マスター:そう、この曲ができたとき、事務所の社長から「お前ら、明日から人生変わるぞ」と言われたって。
お客さん:実際、その通りになったね。
マスター:横浜銀蝿は活動期間を2年に限定して、その間に「シングル1位」「LP1位」「武道館満タン」を目標に掲げて、まさに突っ走った。そしたら、時代とうまくシンクロしたんだよね。
お客さん:あの頃の学校は荒れていたからなあ。
マスター:そう、メンバーがコンサートを終えてホテルのテレビをつけると、校内暴力のニュースが流れていて、そのBGMが『ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)』だった。その瞬間、当たった! と思ったそうだよ。
お客さん:衣装、髪形、ロゴマークとイメージ戦略も完璧だったね。
マスター:ちなみにロゴマークの文字は、大相撲の江戸文字を採用した。男っぽいからという理由。
お客さん:結局、デビュー時の目標は達成したんだっけ?
マスター:「LP1位」と「武道館満タン」はクリアしたけど、「シングル1位」は逃した。その悔しさから活動期間を延長して、解散したのは1983年の大晦日だった。
お客さん:3年3カ月の短い活動期間だったけど、強烈なインパクトだったなあ!
おっ、次の曲は……。
文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中(※現在はコロナの影響で当面の間お休み)
参考:『昭和40年男Vol.56』(クレタパブリッシング)/TBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」(2019年10月27日)