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オンリーワンの男たち/3Dサウンドで世界を幸せにする男
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.06.12 16:00 最終更新日:2020.07.23 21:29
「東京でゼロイチで勝負したい」
26歳の瀬戸は、ハイエースで家も決めずに東京へ向かった。友人宅に居候を決め込み、パチンコ屋でバイトしながら、ステレオのミキシングやサウンドエディットの仕事をするも、食べていけない。「音楽を作りたい。いつかは自分のスタジオを持つ!」と夢を描くも、神田川のカモにうまい棒をあげる日々。
運命のコールがやってきたのは、ある日突然、不思議なところからだった。
あるとき、瀬戸が彼女とデート中、終電を逃したため、ラブホテルに泊まることにした。しかし連休中で部屋はどこも満杯。やっと見つけた部屋は、驚くほど値段の高い部屋だった。仕方なく入り、音楽をつけベッドに寝っ転がった瀬戸は、初めて体感する部屋のサウンドに驚いた。その部屋のサウンドシステムこそ5.1chサラウンドだった。
瀬戸を驚かせた「サラウンド」は、6台のスピーカーを駆使する音響システムだ。モノラルが1台、ステレオが左右2台なら、5.1chは6台のスピーカーを配することだ。左、真ん中、右、左後ろ、右後ろの5台が基本で、さらに低音用のサブスピーカーを置く。サブだから、これが0.1chとなる。
5.1chサラウンドは、臨場感のあるサウンドを追求するため、主に映画製作で1950年代から採り入れられてきた。日本ではしばらく映画館でのみ採用されており、近年、ゲーム業界、NETFLIXが積極的に採り入れている。瀬戸は、このときから独自に5.1chの研究に明け暮れるようになった。
29歳のとき、代々木公園の野外ステージで 「世界初のサラウンド・フェス」 と銘打ち、「エリア51」 というイベントを個人でプロデュースした。真冬の野外ステージに客はたった30人。だが、「何かすごいサウンドをやる奴がいる」 と口コミで評判が広まり、芸能プロダクションが声をかけてきた。
既存ビジネスモデルのない「サラウンド・サウンドデザイナー」という仕事を、瀬戸は軌道にのせていく。30歳で念願のスタジオを構えると、その後は順調に成功の坂を上がり、大規模プロジェクトを次々と成功させてきた。
2017年、お台場の大規模イベント「STAR ISLAND」では、海岸線に330台のスピーカーを配置、花火の打ち上げに合わせて音楽を流した。事前のデータ取りから、スピーカーの配置、音量、キューのタイミングなど細かい調整すべてを瀬戸が自らコントロールした。
2020年は、箱根に『エヴァンゲリオン』とコラボした「第3新東京市エリア」ができ、有明に世界最大の屋内型ミニチュアテーマパーク「SMALL WORLDS TOKYO」もオープンした。
瀬戸は「そろそろ東京時代も幕をおろして、イチからアメリカ時代を作ろうかな」 と微笑む。
29歳で父親が亡くなったとき、瀬戸は「グラミー獲るから」と宣言したが、それは荒唐無稽な夢物語ではない。むしろ現実に近づいている。
「成功者って成功に向かって挑戦している人だと思います。俺も45だし、まだまだ変化したい」
いま瀬戸が夢中になっている新たな研究対象は「超音波」だという。人体によいとされる超音波を独自の機械で再現し、音と連動させ、スピーカーから流す。瀬戸の事務所にあるスタジオで「通常のサウンド」「コンサート会場のサウンド」「サウンドにイルカの超音波を同時発生させたもの」などを聴き比べたところ、不思議な覚醒状態を感じることができた。実用化したら、新たな音楽体験が楽しめそうだ。
「基本、人生は足し算」と言う瀬戸。これまでの人生すべて、自ら体当たりで道を切り開いてきた。大物と呼ばれる人たちに食い下がり、やんちゃ仲間を鼓舞し、イベントを成功させてきた。いろいろあっても「自分は人間が好きだ」と言い切れる瀬戸のオープンマインドは、まず人の可能性を信じるところから始まる。
「これからどうしたいかって、幸せになりたいよね。自分が幸せであり続けたい。それは結局、人を大事にするってことに尽きると思う。縁を大事にするっていうか。自分たちみたいな人間は、人との縁がどれだけありがたいかって、もう身にしみてわかっている。サラウンドや超音波がインフラのように整備されて、誰の元へも届くようになれば、みんなが幸せになれる。それが夢かな」
取材・文/岩崎桃子 浅草生まれのアートディレクター。高校時代からドキュメンタリー制作、モデルなどで活躍。コロンビア大学留学後、外資の金融機関で働く。海外写真家の仕事を手伝ううち、アートの世界にシフト。プロデューサーとして、写真集『edo』をドイツで出版