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ずん・飯尾和樹の芸人30年史「真剣になるのが遅すぎた(笑)」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.09.06 11:00 最終更新日:2020.09.07 12:18

ずん・飯尾和樹の芸人30年史「真剣になるのが遅すぎた(笑)」

「みんなでスベって、ウケた30年に『ぺっこり45度』」

 

 最初こそ「成功者の家」にひとり、優雅に暮らしていたが、「家賃が払えず大家に追い出された」という後輩に、「タダだから来れば?」と声をかけていたら、1人、2人と引っ越してきた。のちに相方となる、やすも加わり、ついには6人での共同生活となった。

 

「俺は寂しがり屋で、しょっちゅう、ウドの家に泊まりに行ったりしてたんで、共同生活は楽しかったです。

 

 ただ、驚いたのが水道代。みんな、今まで銭湯通いだったんで、毎日、風呂に入るんですよ。しかも入るたびに、お湯を入れ替えるから、水道代が月に4万円超えちゃいましてね。

 

 当時は給料制で、4万円払ってちょっと使ったらなくなっちゃう。事務所から前借りをすると、明細のところに『あまり奢りすぎちゃダメよ。経理・中村より』なんて書いてあって(笑)。

 

 それからは、月に5000円ほどの光熱費だけは、(同居人たちから)もらうことにしました」

 

 住む家には困らないが、事務所からの前借りを返しては、また前借り。借金が減らない日々を過ごすが、飯尾は先輩芸人。後輩には奢らないといけない。

 

「やっぱりそこは芸人ルールでね。そのころ、ありがたかったのがロケ弁当。ウドが、テレビ局の弁当を持って帰ってきてくれて、家にタクシーで届けてくれましてね。

 

 俺を飲みに連れて行ってくれるときも、タクシーで迎えに来てくれて、同居人の後輩たちのために弁当を持ってきてくれる。みんな、ウドが迎えに来るってわかると、家の前でタクシーが来るのを待っていて、『ウドさーん、そんなそんな』って言いながら、弁当を受け取る。

 

『お笑いトキワ荘』なんて言われてましたけど、誰もヒットしてないじゃないか、アシスタント止まりじゃないかって。みんな、伸び悩んだ時期だったんですよね。本当に、ウドと天野には助けられました」

 

 寂しがり屋の飯尾にとっては、心地いい共同生活だった。だが、厳しいお笑いの世界。「食っていけないから」と夢を諦め、実家に戻って家業を継いだり、サラリーマンになったりと、お笑いトキワ荘から1人、また1人と去って行った。

 

「送別会が、本当に寂しくてね。みんなで飲むんだけど、朝起きると、出て行くやつがいなくなってるんですよ。6人いたのに、最後は俺とやすだけ、ぽつんと残っちゃった」

 

2000年結成の「ずん」。飯尾は、「やすは、おもしろい存在」と話す

 

「だからというわけではない」が、飯尾とやすはコンビを組むことになる。当時、やすは別のコンビで売れかけていたが、相方が家業を継ぐことになり、ひとりになったタイミングでもあった。

 

「『最後の在庫品で組むか』ってことになって。関根さんや小堺さんやキャイ~ンは喜んでくれました。

 

 ただ、やすは『自分も仕事がゼロだから、飯尾さんもゼロにしてほしい。同じ気持ちじゃなきゃコンビは組めない』って言いましてね。当時あった関根さんの舞台と、キャイ~ンのラジオの仕事をやめてほしいと。

 

 その話をした帰り道、公園で缶コーヒー飲みながら考えたんですよ。『面倒くせえ』ってちょっと思って、ピンでやっていくかと。そうしたらスイッチが入って、コンビニに寄って、ノートとシャーペンを買って、ピンネタを考え始めました。

 

 4LDKの家にホットプレートまであったから、真剣になるのが遅すぎたんです」

 

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