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高知東生「薬物依存だった俺」ディスコで薬に手を出したあの日

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.10.17 11:00 最終更新日:2020.10.17 11:00

高知東生「薬物依存だった俺」ディスコで薬に手を出したあの日

 

 2016年9月、覚醒剤の使用等により、執行猶予つきの有罪判決を受けた俳優・高知東生。現在は、薬物依存症の治療をしながら、啓発活動に取り組んでいる。執行猶予が明け、初の自叙伝『生き直す 私は一人ではない』(青志社)を出版した高知に、いま何を思うのかを聞いた。

 

 

 

 高知が17歳の頃、母親が自殺した。同時期に、父親だと思っていた人が、本当は実の父親ではなかったことを知る。

 

「高校を卒業して、20歳までは高知県にいたけど、俺はもう任侠の息子として有名になっていて。でも、親父だと思っていた人も、実の親父じゃなかった。その衝撃があまりにも大きくて、どうにもできずに田舎を飛び出した。お袋のぶんまで成りあがるぞって思いながら」

 

 勢いそのまま上京したが、頼るアテはまったくなかった。

 

「本当はね、横浜に行きたかったのよ。矢沢永吉さんの『成りあがり』って本を読んでたから。矢沢さんは広島から横浜にたどり着いて、そこからすべてが始まる。だったら俺も高知から横浜に行って、俺のヒストリーを作ってやろうと思って。

 

 でも、フェリーで行ったら東京に着いちゃった(笑)。どうやって横浜に行ったらいいのかもわからない。唯一憧れていた原宿に行って、2週間ぐらいは代々木公園のベンチで寝泊まりしていた。

 

 あの頃は、原宿駅の真向かいにテント村っていうのがあってね。演歌歌手になりたいやつ、絵描きになりたいやつ……いろんな夢を持った奴のたまり場だった。

 

 そこで時間をつぶしてたら、事務局の人が声をかけてきて、バイトを紹介してくれた。住むところがないって話したら、事務所で寝泊まりさせてくれて、どうにか生活できるようになった」

 

 当時の高知を突き動かしていたのは「成りあがる」という漠然とした、かつ強烈な感情だった。

 

「別に、ハングリー精神が強かったわけじゃなくて、そう考えるしかなかったの。親兄弟もなく、本当の天涯孤独を感じてしまった男は、自分を信じてとにかく進むしかない。そもそも、金もなかったしね」

 

そのうちに、水商売で遊ぶ金をつかんだ高知は仲間に誘われて、当時の盛り場に顔を出し始める。

 

「その頃は成り上がりたくて、昼に働いた後、夜はホストクラブで働いてたの。夜のつながりで、ディスコのVIP席に出入りするような友達がいたから、俺も自然と入れるようになった。

 

 そしたら、いたんだよ。俺らより2つ3つしか変わらないのに、仕事でバリバリ稼いで、理想の女性を連れて、いいもの食べて、お酒も豪快に飲む人たちが。『こんな人間になりたい』って強烈に思った。その人たちの輪に入りたい。いろんな情報も、成り上がるヒントもそこにあるんじゃないかと。

 

 その人たちは、いつもおしゃれに薬物を使っていた。当時の俺は『できない、やれないじゃなくて、何でも飛び込むぞ』って勝手に決めてたから。チャンスは自らつかみ取るんだと思い込んでいた。いま思うと間違った考えなんだけど、俺は必死の思いで薬物を使ってみたの」

 

 意外にも、初めて使った薬物にもかかわらず、「正直、高揚感はまったくなかった」と振り返る。

 

「俺がやった薬物の吸い方は『炙り』っていう、煙を使うやり方なのね。注射は嫌いでね……病院でも注射は怖いぐらい。だから煙を吸引してたんだけど、あんまり高揚感は感じなかった。

 

 それがまた、自分のなかで『なんだ、こんなものか』と思ってしまったから、後々よくなかったよね。『いつでもやめられる』と思っちゃったから、ずるずるずるずる続いてしまった。

 

 でもね、年齢を重ねると、仲間も変わってくる。薬物をやらない人と一緒だとやらないんだよね。仲間を意識していたから、10年ぐらいやらなかった時期もあった。だけど、薬物をやる人と繋がると、そのときに仲間意識を感じたら手を出してしまう……」

 

 23歳になり、ある程度の金銭的余裕が出てきた高知は、ホストをやめ、デパートで働きだす。この頃、テント村時代の知り合いと、勤務中にばったり会った。

 

「その人たちが、当時AVのスカウトマンをしていて、『知り合いでAVやりたい子がいたら紹介してくれ』って言われて。そのときは聞き流してたんだけど、数日後、デパートで一緒に働いていた女の子から『家庭の事情でお金が必要で……なんかいいバイト先知らない?』って聞かれたの。

 

 試しに紹介してみたら、話がまとまって無事に出演したみたいで、紹介料をもらえた。額面は、当時の1カ月分の給料の倍ぐらい。驚いたね。

 

 それからも、何人か紹介してあげたんだけど、そのうち『これなら自分でやった方がいいんじゃないか』と思って。ちょうど俺の同郷の奴が東京に出て仕事してたから、一緒にやることになって、AVの世界に入ったの。22~23の頃かな」

 

 会社は4年ほど続いた。ヒット作品も出たし、最初に結婚した女性も一世を風靡したAV女優だった。そんな毎日を送っていた高知が、どうやって俳優になったのか。

 

「歌手の嶋大輔っているじゃない。俺は彼の大ファンでね。薬物をやっていたのとまったく別のディスコに行ったときに彼がいて。『握手してほしいな』と思って声をかけたら睨まれた気がして、俺も頭に血が上って『お前、表出ろ』って喧嘩しちゃったんだよね。

 

 いま思うと、大輔がバリバリ売れてる時期だったのに、よく相手してくれたよな(笑)。でもそれがきっかけで一気に仲良くなった。全然薬物と関係ない友達として、メシ食ったりなんかして。

 

 28歳の頃、俺も結婚してるし、そろそろAV業界に見切りをつけて何かしようって考えてたの。ある日、嶋から誘われてスポーツクラブに行ったら、嶋の事務所の社長がサウナにいたの。そのときは挨拶ぐらいで終わったんだけど、その夜、嶋から『社長が会いたいって』と連絡が来た。

 

 嶋は冗談で『もしうちの社長が「人生を僕に預けないか」って言ったら芸能界入りだぜ!』って。そんなわけねえだろうって笑いながら社長に会ったら、もう開口一番『君、僕に人生を預けないか』って。俺より嶋がびっくりしてたな(笑)。芸能界には全然興味なかったんだけど、タイミングもあって『お願いします』と芸能界入り。

 

 嶋大輔と出会ってなかったら、そんなこともなかったんだよね。あいつには本当に感謝してるよ」

 

 次回は逮捕と回復について告白する。

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