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筒美京平はやはり別格! ライバルだった1980年代の田原俊彦と近藤真彦、どちらにも曲を書いていた
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.10.24 20:00 最終更新日:2020.10.24 20:00
いつの時代も、ライバルのあいだには垣根がある。1980年代、女性アイドルのトップに君臨していた松田聖子と中森明菜の作家陣が被っていないように、男性アイドルの2大巨頭である田原俊彦と近藤真彦の作品を、同じ人物が手掛けるケースはほとんどなかった。
しかし、稀代のヒットメーカーである筒美京平(享年80)だけは、例外だった。筒美は、聖子と明菜には楽曲を書いていないが、田原と近藤には提供している。1979年開始のドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒役で人気に火がついた2人は、翌年に歌手デビュー。チャート争いを繰り広げていた。
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1980年代の10年間のシングルに限定し、2人に携わった作家のランキングを調べた(田原は研ナオコとのデュエット曲『夏ざかりほの字組』を含む37曲、近藤は30曲。%は歌手に対する占拠率。小数点2位以下を四捨五入。名前横はおもな担当曲)。
まずは、作詞家から見ていこう。
【田原俊彦の作詞家】
1位:8曲 21.6% 宮下智 『ハッとして!Good』『NINJIN娘』
2位:6曲 16.2% 阿久悠 『騎士道』『夏ざかりほの字組』
3位タイ:4曲 10.8%
・小林和子 『哀愁でいと』『グッドラックLOVE』
・三浦徳子 『君に薔薇薔薇・・・という感じ』『シャワーな気分』
・松井五郎 『かっこつかないね』『ごめんよ涙』
【近藤真彦の作詞家】
1位:11曲 36.7% 松本隆 『スニーカーぶる~す』『ハイティーン・ブギ』
2位タイ:5曲 16.7%
・伊達歩 『愚か者』『ギンギラギンにさりげなく』
・売野雅勇 『ケジメなさい』『大将』
田原のデビュー直後は、おもに小林和子や宮下智が担当し、中盤には阿久悠とがっぷり四つに組んだ。後半には、松井五郎が登場して、1989年のシングル3枚すべてを書いた。
近藤は、1983年までの12作中9作を松本隆、3作を伊達歩、1984年から1986年までの9作中5作を売野雅勇が務めている。1987年から1989年までの9作は伊達歩、康珍化の各2曲が最多だった。
作詞家の中で、2人に書いたのは森浩美(田原1、近藤1)と売野雅勇(近藤5、田原1)のみである。次に、編曲家を見てみよう。
【田原俊彦の編曲家】
1位:15曲 40.5% 船山基紀 『ハッとして!Good』『抱きしめてTONIGHT』
2位: 6曲 16.2% 大谷和夫 『恋=Do!』『チャールストンにはまだ早い』
3位: 4曲 10.8% 馬飼野康二 『誘惑スレスレ』『顔に書いた恋愛小説』
【近藤真彦の編曲家】
1位:8曲 26.7% 馬飼野康二(Mark Davis名義含む) 『スニーカーぶる~す』『ギンギラギンにさりげなく』
2位:6曲 20.0% 松下誠 『ロイヤル・ストレート・フラッシュ』『大将』
3位タイ:3曲 10.0%
・後藤次利 『ふられてBANZAI』『ホレたぜ!乾杯』
・戸塚修 『ヨイショッ!』『愚か者』
田原の作品の編曲は、初期から後期まで、おもに船山基紀が務め、大谷和夫も重要な役割を担った。近藤の楽曲は、デビューから4曲連続で馬飼野康二がアレンジし、ヒットを連発した。2人に関わったのは、馬飼野康二(近藤8、田原4)、大谷和夫(田原6、近藤1)、中村哲(田原2、近藤1)の3人だけである。