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筒美京平はやはり別格! ライバルだった1980年代の田原俊彦と近藤真彦、どちらにも曲を書いていた

エンタメ・アイドル 投稿日:2020.10.24 20:00FLASH編集部

●近藤と田原、どちらも “ここぞの場面” に筒美京平の曲

 

 そして作曲家の回数を調べると、異例の結果が出る。

 

田原俊彦の作曲家】
1位:10曲 27.0% 筒美京平 『君に薔薇薔薇・・・という感じ』『抱きしめてTONIGHT』
2位:5曲 13.5% 宮下智 『ハッとして!Good』『NINJIN娘』
3位:4曲 10.8% 網倉一也 『悲しみ2(TOO)ヤング』『誘惑スレスレ』

 

近藤真彦の作曲家】
1位:14曲 46.7% 筒美京平 『スニーカーぶる~す』『ギンギラギンにさりげなく』
2位: 3曲 10.0% 馬飼野康二(Mark Davis名義含む)『ケジメなさい』『Just For You』
3位タイ:2曲 6.7%
・山下達郎 『ハイティーン・ブギ』『永遠に秘密さ』
・井上尭之 『愚か者』『さすらい』
・鈴木キサブロー 『夢絆』『大将』

 

 2人とも、筒美京平がもっともシングル曲を手掛けているのだ。

 

 ほかに両者の作品を書いたのは、都志見隆(田原3、近藤1)しかいない。このように10年という長期間で、両方のシングルを手掛けた作家陣は7人に留まっている。

 

 また、二桁関わっているのは近藤真彦の作詞で松本隆、田原俊彦の編曲で船山基紀、2人の作曲で筒美京平の4例のみだ。つまり、筒美は希少なケースでありながら、2人の最多作曲者として名を連ねている。数字が証明するように、ライバルの垣根を飛び越える、別格の存在だったのである。

 

 しかも、時期をずらしていたわけではなく、同時進行で作っていたのだから驚きだ。2人のシングルを発売日順に並べてみると、最高で7連続(1987年6月21日『さようならからはじめよう』田原俊彦 ~ 1988年8月17日『かっこつかないね』田原俊彦)、次に4連続(1982年1月7日『情熱・熱風・せれなーで』近藤真彦 ~ 5月8日『原宿キッス』田原俊彦)で、筒美作品という期間がある。

 

 さらに筒美京平は、2人の代表曲を、異なる年に生み出している。近藤真彦には、“デビュー曲でミリオンヒット” という初の快挙を達成した『スニーカーぶる~す』(1980年12月)、4曲めで日本レコード大賞の最優秀新人賞を獲得した『ギンギラギンにさりげなく』(1981年9月)を提供。この2曲は、マッチのオリコン売上1位、2位の作品になっている。

 

 田原俊彦には、主演ドラマ『教師びんびん物語』(フジテレビ系)の主題歌『抱きしめてTONIGHT』(1988年4月)を書いている。同曲発売前まで売上が低迷しており、初回出荷枚数が少なかったためか、オリコン1位こそ取れなかったが、当時の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で週間1位を4度獲得し、年間1位にまで輝いた。

 

 デビュー曲で大爆発したい、起死回生の一発を放ちたい――。“ここぞの場面” で筒美京平は起用され、見事にジャニーズ事務所の期待に応えたのである。

 


文・岡野誠
ライター、松木安太郎研究家。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では、田原俊彦本人へのインタビュー、野村宏伸など関係者への取材、膨大な資料の緻密な読解を通し、人気絶頂からバッシング、苦境・低迷、現在の復活までを熱がこもった筆致で描き出した。『哀愁でいと』『抱きしめてTONIGHT』など、ヒット曲の誕生秘話も収録

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