東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。
お客さん:お、このイントロは野口五郎の『私鉄沿線』。失恋ソングの大定番だねえ。
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マスター:1974年に『甘い生活』がオリコンチャート1位を記録して、翌年、再び1位に輝いたのが、この『私鉄沿線』。
お客さん:歌手・野口五郎を不動のものにした曲だったよね。
マスター:『甘い生活』から続く『私鉄沿線』『哀しみの終るとき』は3部作で、実は、野口五郎のアイデアから生まれたものだったという。
お客さん:アイデア?
マスター:当時、制作陣にどんなふうにしたい? と聞かれた野口五郎が、「出会いから始まるのは普通なので、別れから始まるのはどうですか?」と提案したという。
お客さん:別れから始まる?
マスター:つまり、『甘い生活』で別れ、『私鉄沿線』で別れた彼女を待つ、『哀しみの終るとき』で再会する、というストーリー性を持たせたんだね。
お客さん:まだ10代の若者がセルフプロデュースしたんだ!
マスター:『甘い生活』と『哀しみの終るとき』は作詞・山上路夫、作曲・筒美京平という大御所コンビなんだけど、『私鉄沿線』は作曲が佐藤寛なんだ。
お客さん:サトウヒロシ?
マスター:実はこの人、野口五郎のお兄さん。音楽に精通していて、その影響で野口五郎は音楽に目覚めたという。兄はアルバイトしたお金で幼い弟にギターを買ってあげたり、弟が上京したときは臨時雇いの仕事をしながら支えたという。
お客さん:弟思いなんだねえ。
マスター:『私鉄沿線』については大変なことがあってね。『甘い生活』が1位になったことがプレッシャーとなり、『私鉄沿線』が発売された直後、作曲した兄は胃潰瘍で入院する羽目になったんだ。野口五郎が「2作連続1位」の吉報を兄に届けたのは、手術室に向かう病院の廊下だったという。
お客さん:まさに命がけで作曲した歌だったんだね。
マスター:その後も兄は『むさし野詩人』など数多くの楽曲を弟に提供している。
お客さん:兄弟の絆が生んだ名曲だったわけだ。
おっ、次の曲は……。
文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中
参考:朝日新聞(2017年2月4日)、BS日テレ『歌謡プレミアム』(2020年9月17日)