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【芸能界・意外な話】木梨憲武と三谷幸喜は同じサッカースクールに通っていた
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.12.07 06:00 最終更新日:2020.12.07 06:00
過去にとんねるずと関わっていた意外な人物がいます。NHK大河ドラマで自身3作目となる『鎌倉殿の13人』など多くの脚本を手がける三谷幸喜さんです。
とんねるずが1983年に渋谷でおこなったライブ「高卒だからってなめんなよライブ」で、三谷さんは見習いとして舞台の手伝いをやっていたそうです。これは西日本新聞に掲載されている『放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載』(2020年4月23日)で明らかにされています。
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僕が「2018 FIFAワールドカップ」の取材で木梨憲武さんに聞いたところ、三谷さんと木梨さんは同い年で、小学生の頃に同じサッカースクールに通っていたそうです。「そのサッカースクールで俺は2軍、三谷さんは13軍だった(笑)」とおっしゃっていました。
他にも、とんねるずのバックバンドとして関わっていたグループがいます! それはDREAMS COME TRUE。
『とんねるずのみなさんのおかげでした 食わず嫌い王決定戦』(2004年12月9日)で明かされたのですが、ドリカムの中村正人さんは、1985年から3年間、とんねるずのライブのバックバンドでベースを担当。その頃、吉田美和さんも「とんねるずのステージはすごく楽しくて勉強になるからコーラスをやってみろ」と中村さんから誘われ、バックコーラスとして参加しました。
高校時代、木梨さんがサッカー、石橋貴明さんが野球をやっていたのは有名な話です。そんな石橋さんは、メジャーリーガーのパイオニア・野茂英雄さんがプロ野球に入る前から付き合いがあったそうです。社会人野球の新日鉄堺時代、野茂さんと貴さんがマッサージを受けるトレーナーさんが同じ人だったことからつながったと教えてくれました。
知り合った当時、遠征で東京に来ていた野茂さんに「今日、何してたの?」と貴さんが聞くと、「原宿の『ねるとんショップ』に行って知り合いに頼まれたトレーナーをたくさん買いました」と嬉しそうに話す姿を見て、貴さんは「意外に普通の青年なんだな」と感じたとか。
しかし、その翌年、野茂さんがドラフトで8球団に指名されると、「やっぱりすごい」と驚いたと言います。
最後にもう一つ、貴さんはこんな秘話も話してくれました。貴さんはまだガラケーを使っているのですが、周りにもまだガラケーユーザーがいると言います。
「作家の伊集院静先生と中田英寿はガラケーだし(笑)」
時代の最先端を行っているイメージの中田さんが、いまだにガラケーとは意外な話ですね。
●取材・文/インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・お笑いジャーナリスト