■歴史的名盤が生まれたその理由とは?
『ロング・バケイション』は、40年の歳月を経ても輝きを失うことはない。なぜか?
「『ロンバケ』の大滝さんの声は、イージーリスニングのように心にもスッと入っていく。会心のボーカルアルバム」(伊藤)
「大滝さんの声、趣向、時代の流れなど、いろんな焦点が一致したんですね。ジャケットのイメージもぴったりハマりました」(杉)
「メロディがいい。このアルバムに入っている曲は全部好きです」(佐野)
前作の『レッツ・オンド・アゲン』(1978年)は、初回プレス1500枚、実売数百枚にとどまった。
そんな大滝さんが1年がかりで制作した『ロンバケ』は、1981年度年間チャート2位を記録する大ヒットとなった。杉が語る。
「『君は天然色』では、日本のトップミュージシャン20人をスタジオに集めて『ウォール・オブ・サウンド』と呼ばれる豪華な音の壁を作りました。
そして、歌入れになって、キーはもう少し低いほうがいいと、(サビを)ハーモナイザーですべての音を1音下げるという荒業を使ったと聞きました(笑)。
そんな手法は、ビートルズによく似ています。すごく考えられている緻密な展開と、行き当たりばったりなところが混在しているんです。その混在具合が素晴らしい!」
また、自身が体験し、積み重ねてきた音楽的な感性を、もっとも重視していたという。
「メロディにハーモニーをつけるとき、一般的には楽典的にこうだからって、セオリーをベースにします。
でも、大滝さんは、『ロイ・オービソンはこうだろう』というアプローチをする。それを可能にするには、膨大な数の音楽を聴いて自分の頭の中に入れていないとできません」
大滝さんのプロデュースとは、どんな手法だったのだろうか? 1982年のアルバム『ナイアガラトライアングルVOL.2』から紐解いてみる。
そもそも、第二期の『ナイアガラトライアングル』は、佐野と杉が出演していたライブイベント「ジャパコン・ウイーク」のステージ上で、大滝さんによってサプライズ的に発表された。佐野が述懐する。
「大滝さんと杉くんは同じ(CBSソニー)で、僕はエピックレーベルに所属していました。
大滝さんは、事前にレーベルやマネージメントに承認を取るより、アーティスト同士のつながりでOKだったらプロジェクトを進めようという考えだったと思います」
レーベルや事務所にとっては寝耳に水の話で、のちに、「スタッフをどれだけ泣かせたかわからない」と、大滝さんは語っている。
『VOL.2』は、アーティストがそれぞれレコーディングした4曲を持ち寄り、大滝さんに提出するスタイルだった。
「僕がプロデュースして録音した『彼女はデリケート』を大滝さんに聴いてもらったら、『ボーカルはもっと生々しいほうがいい』ということで、その場で1回録り直しました。そこで、エディ・コクラン風に歌ってみたら『それがいい!』って」(佐野)
また、新たにコーラスを加えることになった。ノンクレジットだが、シャネルズ(当時)が参加している。
「ロックンロール曲に、ドゥワップの要素を取り入れたらおもしろいんじゃないか、というアイデアだったと思います。
僕は1980年にデビューしていますから、当時のニューウェイブ的なニュアンスのロックンロールに仕上げましたが、大滝さんが求めていたのは、1950~1960年代のグッドオールドロックンロールだった」(佐野)
そして、エンディングの変更を求められた。
「当初はフェイドアウトでしたが、大滝さんに『ロックンロールだからカットアウトがいい』と言われて、多少、無理があったんですけど、無理を越して、作り直しました」(佐野)
同時期にレコーディングしていた『サムデイ』を聴いた大滝さんは、『VOL.2』への収録を要望したが、「(佐野の)次のシングルに決まっていたため」実現しなかった。
大滝さんには『VOL.2』について、「別のバージョンがあった」という。杉が語る。
「大滝さんに、別に考えていた並びの音源を聴かせてもらったんですが、そこには、アルバム『EACH TIME』収録曲の別バージョンが入っていて、最後の曲が『イエローサブマリン音頭』だったんです。びっくりしましたね。佐野くんと金沢明子さんが同居するの?って(笑)」
大滝さんが3人のアーティストに与えた影響とは?
「大滝さんの歌唱法は1960~1970年代のアメリカンポップス。日本語を英語のように歌う。それを僕なりにやってみたい」(伊藤)
「『Nobody』という曲を作ったとき、まわりの人たちは『いまさらビートルズじゃないだろう』と否定的だったけど、大滝さんは、『君らしいよ』と認めてくれました。以降、人から何を言われても好きなことをやろうと決めました」(杉)
「ミュージシャンが作り出すサウンドは、ただの音ではなく、思いや哲学をこめられているのだという考えが大滝さんにありました。そこが、参考になりました」(佐野)
おおたきえいいち
岩手県出身 細野晴臣、松本隆、鈴木茂ら4人で結成されたバンド「はっぴいえんど」で活躍。アルバム『ロング・バケイション』(1981年)、『EACH TIME』(1984年)がビッグヒット。ドラマ『ラブジェネレーション』(1997年、フジテレビ)の主題歌として起用された『幸せな結末』(1997年)も大ヒットした
いとうぎんじ
1950年12月24日生まれ 大阪府出身 1972年、バンド「ごまのはえ」でデビュー。アレンジャー、プロデューサーとして沢田研二、アン・ルイス、ウルフルズほか数々のアーティストを手がける。アルバム『RAINBOW CHASER』が発売中
すぎまさみち
1954年3月14日生まれ 福岡県出身 1977年、「MARI & REDSTRIPES」名義でデビュー。作曲したサントリーのCMソング『ウイスキーが、お好きでしょ』は多くのアーティストにカバーされている。アルバム『MUSIC LIFE』が発売中
さのもとはる
1956年3月13日生まれ 東京都出身 1980年、シングル『アンジェリーナ』でデビュー。2021年4月21日、29枚組の集大成的CD BOX『MOTOHARU SANO THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』を発売する
(週刊FLASH 2021年3月30日・4月6日号)