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名曲散歩/八代亜紀『雨の慕情』3部作の “中継ぎ” が大ヒット
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.08.01 16:00 最終更新日:2021.08.01 16:00
東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。
お客さん:お、このイントロは八代亜紀の『雨の慕情』。日本人が好きな雨の歌!
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マスター:1980年にリリースされた曲。この年の賞レースは激戦だった。五木ひろしとの俗にいう「五八戦争」を制して、日本レコード大賞を受賞した名曲だ。
お客さん:五木ひろしは『ふたりの夜明け』だったよな。
マスター:そう。ただ、2人は売れない頃、銀座のクラブで一緒に歌い、励ましあった仲間。八代亜紀にライバル意識はなかったという。
お客さん:作詞・阿久悠、作曲・浜圭介という『舟唄』を生み出したコンビだよね。
マスター:そう、実は『雨の慕情』は『舟唄』からつながっている曲なんだ。1979年、八代サイドから阿久悠に「新境地を開拓してほしい」と依頼があったという。
お客さん:イメージチェンジね。
マスター:このとき、阿久悠は「歌手のイメージを作るには最低3曲は必要」と主張したという。
お客さん:そもそも阿久悠は、ピンクレディーにしろ、岩崎宏美にしろ、桜田淳子にしろ、単なる作詞家というより、それぞれのイメージづくりを含め、プロデューサーのような役割だったか
らね。
マスター:そこで阿久悠は『舟唄』『雨の慕情』『港町絶唱』の3連作を用意。野球に例えるなら、『舟唄』が先発、『雨の慕情』が中継ぎで軽く抑え、クローザーの『港町絶唱』でレコード
大賞を手にするという戦略を練った。
お客さん:その予定が、いい意味で狂ってしまったわけだ。なんたって演歌には見向きもしない子供たちが、サビの部分で手のフリをマネするほど流行ったもんな。
マスター:阿久悠はこう言っている。「作り手の思惑を超えて歌の格付けがされるのは、嬉しいことでもある。ヒット曲とはそういうものであろうから」とね。
お客さん:この年の『紅白歌合戦』の大トリを飾ったこの曲、梅雨の季節になると毎年思い浮かぶんだよな。
おっ、次の曲は……。
文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中
参考:阿久悠『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』(新潮社)/阿久悠『「企み」の仕事術』(ロングセラーズ)