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ラモス瑠偉、愛する日本と家族を語る「宝くじは当たらないよ、運を使い果たしたから(笑)」

エンタメ・アイドル 投稿日:2021.08.11 16:00FLASH編集部

ラモス瑠偉、愛する日本と家族を語る「宝くじは当たらないよ、運を使い果たしたから(笑)」

笑顔を見せるラモス瑠偉

 

 サラリーマンが行き交う街・新橋のブラジル料理店。店内の金緑旗に目をやり、「ブラジルでプロのサッカー選手になるのが夢だった」と、ラモス瑠偉は首(こうべ)を回(めぐ)らせ始めた。

 

 幼いころから草サッカーに夢中だったラモスは、12歳で父を亡くしている。その後は母が女手ひとつで昼夜問わず働き続け、5人の子供を育てた。そんな姿をそばで見てきたラモスの夢は、「サッカーで生計を立て、母を楽にしてあげること」だった。

 

 

 18歳でプロチームに入団するも、なかなか試合で使ってもらえず燻(くすぶ)っていた。そんなとき読売クラブで活躍していた与那城ジョージが “助っ人” を探しに帰国。ラモスの兄が与那城と旧知の仲だったことで、突如、日本行きの話が舞い込む。

 

「日本は興味もないし、知らない国だったけど『行きます』と即答しました。家族のため。とにかくお母さんを楽にしてあげたかったから。でも、お母さんは日本に行くなんておかしくなったのかと嘆き、1週間、口をきいてくれなかった」

 

 そんな母の味を思い起こさせるのが、今回の取材場所となったブラジル料理店「シュハスカリア キ ボン!」のフェイジョアーダ。

 

 黒豆と塩漬け肉を煮込んだブラジルの代表的な料理で「ここがいちばん美味しい。懐かしいお母さんの味だね。これとビールがあれば、何もいらない。年末年始なんかは自宅に届けてもらって家族で食べているよ」と笑う。

 

 ラモスがいとこのカルロスと来日したころ(1977年)は、日本には同店のような店も少なく、さっそくホームシックにかかる。

 

「東京に住めると思っていたらよみうりランドのホテル住まいで、あのへん(東京・稲城)は、何もなく夜は真っ暗。4月だったから寒いし、毎日泣いてたね。ムリ、すぐに帰ろうと思った」

 

 そんなラモスを救ったのが、同じブラジル人選手のカルバリオ(フジタ)とマリーニョ(日産)。そして、今でもラモスが “恩人” と話す、チームメイトの松木安太郎(63)だった。

 

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