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とろサーモン、ファンがラジオ枠を買ってくれて…不遇コンビの逆襲が始まる!

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.10.20 11:00 最終更新日:2021.10.20 11:01

とろサーモン、ファンがラジオ枠を買ってくれて…不遇コンビの逆襲が始まる!

 

 今年7月、とろサーモン久保田かずのぶさんがチバテレビの番組枠を自腹で買い取り、『とろサーモン久保田、テレビ局の枠を買う』という番組が放送されました。その予算は、Amazonプライムの配信番組『ドキュメンタル』で久保田さんが優勝して手にした賞金2000万円から出たものでした。

 

 久保田さんはお笑いで稼いだお金を自分が求めるお笑い純度の高い番組をやるために使ったのです。クズキャラでおなじみの久保田さんですが、実はお笑いに対しては、すごく真っすぐな芸人だということがわかります。

 

 

 そして、番組を見た人が、とろサーモンを応援したいという思いでShibuya Cross-FMの枠を買ってくれ、今度は『とろサーモンの冠ラジオ枠買ってもらった。』という番組が今月からスタートしました。久保田さんの笑いに対する真摯な姿勢が実を結んだ形となったのです。

 

 しかし、とろサーモンは実力があるにもかかわらず、なぜか苦労が絶えないコンビなのです。

 

『M-1グランプリ2017』(ABC系)は、とろサーモンがエントリーできるラストイヤーの大会でした。2人はその最後のチャンスを見事つかんで優勝しました。

 

 久保田さんは優勝直後、「M-1を、どこかでずっと憎しみながら漫才していた」とコメント。この発言の真相を、筆者が以前とろサーモンを取材した際にお聞きしました。

 

「準決勝でずっと落ちてきて……落ちてきたというより、『(漫才はお客さんに)ウケてるやん!』と思ってて。そうなると『審査員が(俺たちを)落としてるやん!』となってる時期があったんですよ」

 

 とろサーモンは優勝する前年まで、準決勝で10回も敗退していました。そのため久保田さんは「いつか見返してやろう」という気持ちで毎年M-1に挑んでいたそうです。

 

 相方の村田秀亮さんは、M-1優勝の1カ月前ぐらいに千鳥のノブさんと2人でご飯に行ったそうです。そのときに、今年ダメなら芸人をやめる覚悟だと話しました。

 

「ホンマにそのつもりでノブさんにしゃべってました。『今年、決勝に行かれへんかったら、覚悟キメて足洗って違う仕事しますわ』って。もうこんな年なんで雇ってくれるところもないでしょうし。宮崎に帰って親父の林業を継ごうと思って。それぐらいの思いがありましたよ」

 

 とろサーモンは、やっとの思いでラストチャンスをものにし、これから順風満帆の芸人人生を送れると思ったことでしょう。

 

 しかし、翌年の『M-1グランプリ2018』の終了後、久保田さんが問題を起こしてしまいました。放送後のインスタライブで、久保田さんが上沼恵美子さんに暴言を吐いたことをきっかけに炎上。とろサーモンのメディア露出が一気に減ってしまったのです。

 

 久保田さんはその件に関して、インスタで生配信されているとは知らなかったと、後に証言しています。つまりあの騒動はアクシデントだったのです。

 

 村田さんも、もちろんお笑い能力の高い芸人です。それを如実に表していたのが、ABEMAで今年6月に配信された千鳥の番組『チャンスの時間』です。

 

 村田さんが出演したのは『コンビの愛を取り戻せ!ツッコミで相方を嫉妬させよう!』という企画でした。これは村田さんと三四郎のボケ・相田周二さんが仕掛人となり、三四郎のツッコミ・小宮浩信より先に村田さんがツッコんでいくという企画です。

 

 このとき、相田さんのボケに対する村田さんのツッコミが、素早いうえに的確で、ワードセンスも秀逸だったのです。そのすごさに、小宮さんは嫉妬するというより、自分が劣っているのでは、と落ち込んでいる感じでした。

 

 スタジオでVTRを見ていた千鳥も、あまりにツッコミが完璧だったため、掛け合いを事前に打ち合わせしていたのか確認したほどです。2人が打ち合わせしてないことを知った千鳥は相当驚いていました。

 

 しかし、村田さんのツッコミのレベルが高すぎたため、企画の趣旨が変わってしまいました。そのため、千鳥の2人は、次回から仕掛人のレベルを落として、もっと若手に変えましょうとコメント。村田さんは、ツッコミの実力が高すぎたことで、皮肉にも次回の出演チャンスを逃してしまったのです。

 

 そんな運がないとろサーモンですが、お笑いに対して真摯に向き合っている限り、笑いの神様が2人を見放すことはないでしょう。さらなる活躍に期待したいです。

 

インタビューマン山下

1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

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