2020年3月29日にこの世を去った、「笑いの神様」志村けんさん。12月27日、その半生を描いたドラマ『志村けんとドリフの大爆笑物語』(フジテレビ系)が放送される。
ザ・ドリフターズの付き人からキャリアをスタートさせ、1974年には正式メンバーとなった志村さん。テレビ画面では「アイーン!」「変なおじさん」など数々のギャグを見せていたが、その裏では誰よりも笑いにストイックな “職人” だった。
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運転手兼付き人を務めていた乾き亭げそ太郎は、かつて本誌取材に、志村さんの素顔を明かしている。
「毎晩、仕事終わりに六本木や麻布十番へ飲みに出かけ、朝3時に帰ることもありましたが、帰宅後は必ず1本は映画を観ていました。
それは、『どこにコントのヒントがあるかわからないし、映像の撮り方を応用できるかもしれない』という理由です。
コントにリアリティがあるのは、そんな日々の努力があったからこそだと思います」
「俺が寝ている間にもっと努力してるヤツがいるかもしれない。そう考えたら不安になるから、映画を観たほうが落ち着くんだよ」と志村さんは語っていたという。
日々芸を磨き、多忙なスケジュールをこなしながら、時間厳守は徹底していたという。タレントの中山秀征は、2020年9月18日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で、志村さんとのエピソードを語っている。
「師匠は絶対に遅刻しなくて、いつも30分~1時間前と早く来る。初めて仕事したとき、遅れちゃいけないと思って、30分前に着いてお出迎えしようと思ったら、もう車があってゾッとした。
1時間前に入っていたらしく、理由を聞いたら『遅刻すると、すみませんから始まるだろ。一日がすみませんから始まりたくないからね』と」
「笑いの神様」として、芸には一切の妥協を許さなかった。過去、本誌記者が志村さんに “付き人修行” という形で、『バカ殿様』のロケを取材したことがある。
しかし、現場に用意されていた小道具が志村さんのイメージと違っていたことから、急遽ロケは中止に。理想の笑いを追求する “職人” の姿がそこにはあった。
このとき志村さんは、自身が考える「理想の生き方」を本誌記者に明かしている。
「けっして文化人にならず、最後まで “変なおじさん” のままでいたい。自分を常識派だと見せようとした段階で、コメディアンとしての人生は終わりなんだよ」
自分に厳しく、笑いに厳しかった。しかし、ひとたびテレビに出れば、ストイックな一面はいっさい見せなかった。お茶の間を笑わせ続けた志村さんは、本人の理想どおり、「変なおじさん」としてこれからも人々の記憶に残り続けるだろう。
( SmartFLASH )