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坪倉由幸、お笑いとは違うドラマの世界で考えたこと「ちょっと隙を与えないと(笑)」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.02.13 11:00 最終更新日:2022.02.13 11:00
「芸人になる前、父親に教えてもらって入ったのが初めてだったと思います。
野菜も取れるたんめんを頼んだら、パンチのある味がクセになって。そこからなんやかんやで25年近く通っています。芸人仲間が横浜に遊びに来たときは、餃子などつまみながら飲んだりしてね……」
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美味しそうに「たんめん・ぎょうざ 三幸苑」のたんめんをすするのは、お笑いトリオ「我が家」の坪倉由幸。最近は、俳優としても注目を集める存在だ。
「デビュー前、俳優の養成所みたいなところに通っていたこともあって、取材で俳優志望だった? と聞かれるんですが、そんなことはないんですよ。
正直、昔は俳優や芸人というより、ざっくり “テレビに出られる人になりたい!” という思いが強くて。あのころテレビが本当にキラキラして見えて、その世界を覗いてみたい気持ちが強かったです。
そのために何をすればいいかわからず、養成所に入った感じなんです。今ならこの道を選んでいなかったかも。おもしろくないのに勘違いしてユーチューバーになっている可能性は高いです(笑)」
だが、この養成所でのちにトリオを組むことになる谷田部俊と杉山裕之に出会った。同級生だった2人はすでにコンビを組んでいたが、そこに坪倉が加入して「我が家」が誕生した。
「2人を見たとき、個性的でキャラがあっていいなと思ったんですよ。杉山はやっぱりおもしろかったし。って、過去形になるとあれですが(笑)。杉山はよくも悪くも20歳くらいから変わっていないんですよ。ただネタではそれを全然生かしていなかった。
自分で言うのもなんですが、僕が入ったほうが “良い子・悪い子・普通の子” みたいな感じでバランスがよくなるなって思い、入りました」
ボケ、ツッコミが入れ替わる “ローテーション漫才” を武器にあっという間に人気者になった我が家。憧れていたテレビに出る人になっていく。
「短いネタが人気のあった時代だったんですが、ちょうど養成所のころに書いていたネタが10分でも3分でも対応できるタイプだったので運がよかったんです。
ただ問題は下ネタで……。当時、下ネタには自信があったんですが、NHKやゴールデンタイムの番組ではあまりいい顔されなくて採用されませんでした。
唯一『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)だけはすごく寛容で。で、やってみたら下ネタでお客さんも笑うし、パネラーも司会の今田(耕司)さんも褒めてくれる。やっていてよかったと思いました」
谷田部がボケて、坪倉が下ネタでボケようとするが、杉山が「言わせね~よ」とツッコむ。この “下ネタ漫才” は、元プロ野球巨人軍のバント職人・川相昌弘選手のプレーを見て誕生したという。
「川相選手の犠打世界記録がかかっている試合をテレビで観ていたんですよ。で、そのときに思い浮かんだのが、もし川相選手が独身で彼女がいたら、『この送りバントが成功したら結婚してくれ』とか言うのかな? と。なんかホームランとかだとカッコいいのに、ちょっと違和感あるなって。
そこからバットが “オレのバット” になって、どんどん長いものやエロい発音をするものを持っている職種の人を探して下ネタに変えてみたりして。
そうしたら意外とイケる。そうやってできたのがあの漫才。基本ばかばかしいんですが、当時はトリオが珍しかったこともあり、スタイリッシュに斬新に見えていたみたいで、うまく騙すことができました。もう運ですよ。
ただ女のコからは勝手にハードルを上げられていたと思います。『下ネタばかり言っているんだから、テクニックもすごいんじゃないか』って。それに関しては、申し訳なかったです(笑)」