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【坂本冬美のモゴモゴモゴ】始球式の「君が代」斉唱に自信がなくて…『凛として』は引退を決意して歌っていた
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.04.02 06:00 最終更新日:2022.04.02 06:00
誰にも告げず、一人ひっそりとステージを去ると決めたその日まで、あと1年と迫った2001年4月8日、神様から素敵なプレゼントをいただきました。
愛する阪神タイガースのホームグラウンド、甲子園球場で、国歌斉唱と始球式をさせていただけることになったのです。
青春をソフトボールに捧げてきたわたしですから、投げることに関しては、そこそこ自信があります。問題は……むしろ、国歌斉唱のほうでした。
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4万7000人を超える大観衆の前で、音を外したらカッコ悪いどころの騒ぎではありません。
う~ん、どうしよう? 心配性のわたしが悩んだ末に出した結論は、カラオケを出していただくというウルトラDでした。声が震えないように。歌詞がしっかり届くように。心をこめてーー。
緊張しながら、それでもなんとか歌い終え、いよいよ夢のマウンドへ。用意していただいた背番号3のユニホームが、かなり大きめなのはご愛嬌です。
「ピッチャー、坂本冬美。大きく振りかぶって、第1球を投げましたッ!」
仕事の合間を縫ってキャッチボールの練習をしていたので、わたしが投げたボールは、ごぉぉぉぉぉーっという唸りを上げてキャッチャーミットに収まるはず……でした。はず……だったのですが……。どうしたことでしょう?
どうにかこうにか、キャッチャーまでは届きましたが、ズド~~ンという音がするはずだったのに、パスッ……という、なんとも情けない音です。
それでも、マウンドを降りるわたしの横で、独り言のように「いい球、投げるやん」と、野村克也監督がにっこりと笑ってくださって。ほんと、いい思い出です。
この始球式から3日後の4月11日に出させていただいたのが、人生の応援歌『凛として』です。
■歌い終え、心によぎった2つの言葉
作曲は徳久広司先生。作詞は、デビュー前からずっとわたしを見守り続けてきてくださった、たかたかし先生。先生にも、お世話になったほかの皆さんにも、最後まで「もうこの世界には戻ってきません」とは言えなくて……。喉まで出かかるのに、やっぱり、言えない……。
ワンフレーズ、ワンフレーズを大切に、思いを乗せて。最後までしっかりと歌うことで、感謝とお詫びの言葉に代えようと思うしかありませんでした。
暮れの『紅白歌合戦』で歌わせていただいたのも、この『凛として』です。
いつもなら緊張しっぱなしで、どうやって歌ったのか、いつ終わったのかも遠い記憶の彼方なのに、この年だけは、ず~~~~~っと、冷静な自分がいて。歌っている自分を、上のほうから見ているもう一人のわたしがいる。そんな不可思議な気持ちで歌っていました。
1番が終わって、間奏の間に右から左に、ゆっくりと視線を動かして。すべてを目に焼きつけよう、心に焼きつけておこうとするように。
涙はありません。歌い終え、深々とお辞儀をしたときに、わたしの心によぎったのは、 “ごめんなさい” と “ありがとうございました” という2つの言葉だけ……。
控室に戻ってからも、 “これでいいんだ” という思いと、 “こうするしかないんだ” という気持ちが交錯し、いつまでもぐるぐると渦巻いていました。
さかもとふゆみ
1967年3月30日生まれ 和歌山県出身 『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』、そして最新シングル『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、ファン投票によって選曲された『坂本冬美35th Covers Best』と、メモリアルイヤーの締めくくりに『夜桜お七』初のアナログ盤が発売中!
写真・中村功
構成・工藤晋