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かとうかず子、東国原英夫と結婚したきっかけは靴下のにおい「彼の普通のところが好きだった」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.04.03 11:00 最終更新日:2022.04.03 11:00

かとうかず子、東国原英夫と結婚したきっかけは靴下のにおい「彼の普通のところが好きだった」

かとうかず子

 

「これから行くお店は出演したドラマ『マリーの桜』のスタッフさんが『太い春雨が美味しいの』と、38年前に連れていってくださいました。そのとき、お店に入るとピーターさんと夏木マリさんがいらしてびっくりした思い出があります」

 

 若者文化の発信地・原宿。古着店、スニーカーショップが立ち並ぶ通りに、その店「東坡(トンポー)」はあった。店に入り、慣れた様子でカウンター席に座ると、かとうかず子はお気に入りの「トマト玉子炒め」を注文した。

 

 

「炒めているのにトマトが形崩れしていないの。私もまねして家で作るけどぐちゃぐちゃになっちゃう」と笑いながら、初めてオーディションを受けたときの思い出を語った。

 

「大学2年生でした。女子大生に人気の月刊誌に舞台ロックオペラ『サロメ』(1978年)のオーディション告知が載っていたんです。

 

 演出のつかこうへいさんの名前はまったく知らなかったのですが、脚本に阿木燿子さんのお名前があって。阿木さんはダウン・タウン・ブギウギ・バンドで有名でしたから、友達と『おもしろそうね』とオーディションを受けました。

 

女優になりたい』という目標があったわけではありませんし、ましてや動機が動機だったので、オーディションでは何もできませんでした」

 

 だが西武劇場(当時)から一次審査通過の知らせが来た。

 

「『せめて歌だけでも練習して二次審査に来てください』という電話でした。歌もダンスもヘタだったので『せめて歌だけでも』と考えたのかもしれません。だけど、練習方法を知りませんから、学校の音楽の授業で習ったフォスターの曲を練習しました。

 

 そうしたら、信じられないことに二次も合格しました。何もできないことで逆に『もしかしたら化けるかも』という期待を持っていただけたのでしょうか(笑)」

 

 端役で出演した『サロメ』の公演は1年後に終わった。歌も踊りもできず「ここは私のいる場所ではない」と痛感したかとうは休学していた大学に戻った。

 

 翌年の夏休み、つか氏の劇団員から「稽古をやってるから遊びに来ないか」と電話があった。誰かの代役をやるのかと思ったが、いきなり立ち稽古をすることになった。

 

「終わるとつかさんから『かずこ、近くのホテルに泊まって明日も稽古だ』と言われました。だけど自分が出演するとは思いもしませんでした。

 

 ちなみに芸名は本名をひらがなにしましたが、その理由はつかさんが『どうせ長く(役者を)やるはずはないから、(本名を伏せた)芸名はいらないだろう』とおっしゃったからです」

 

 こうして本格的なデビュー作『広島に原爆を落とす日』(1979年)の舞台を踏むことになった。それでもまだ、かとうには「女優になる」という思いはなかった。しかし、つか氏はドラマ『マリーの桜』のオーディションに「かずこ、行け」となかば強制的に参加を命じた。

 

「テレビドラマのオーディションは初めてだったので不安だらけ。心配したつかさんが風間(杜夫)さんにオーディションの台本読みの相手をお願いしてくださいました。今思えば風間さんにお相手をしていただくなんて畏れ多いですね」

 

 さらに、田中康夫氏原作の映画『なんとなく、クリスタル』(1981年)の主演に抜擢。作中ではベッドシーンを演じて話題になった。女優人生は順風満帆に見えたが、本人は違っていたようだ。

 

「自信はないし不安ばかり。ずっと『自分は役者には向いていない』と思っていました。それでも『マリーの桜』の放送時に大学を自主退学。女優の道を歩み始めました」

 

■結婚した理由は「靴下のにおい」

 

 迷いのなか女優を続けてきた1989年、たけし軍団の最古参・そのまんま東(現・東国原英夫氏)と衝撃の出会いをする。

 

「彼が書いた推理小説『ビートたけし殺人事件』がTBSでドラマ化され、私も出演させていただきました。撮影で軍団の方が勢揃いしたとき、どなたかの靴下がすごくくさかったんです。私が『どなたかの靴下がくさいです』と言ったら、彼が『僕です』と手をあげたんです。それを見て『この人、すごい』と感動しました。私もそうですが、素直に認めることは勇気がいります。彼のようにはできないなと」

 

 それから気になる存在になった。東とは1990年に結婚。「美女と野獣カップル」といわれた。子供を2人授かり、子育てと女優業を両立してきたが2006年に離婚した。

 

「彼の普通のところが好きで一緒になりましたけど、彼もだんだん忙しくなり、お互いにすれ違いが生じてきたのだと思います。彼の不祥事が原因ではありません。テレビで『私と(知事選に出る)宮崎のどっちが大事なのと迫られた』みたいなことを言っているようですが、それはネタですから信じないでくださいね」

 

 かとうの女優人生は、40年を超えた。その間、多くの先輩からかけられた「言葉」が支えになったという。

 

「奈良岡朋子さんからは『長く俳優をやっていて、楽しかったと思うことがひとつでもあったら素晴らしいと思うの』と言われ、森繁久彌さんには『台詞はね、食べてウンチに出して、それからしゃべらなくちゃダメなんだ』と教えられました。覚えてしゃべるのではなく、自分の中で消化しろということですね。

 

 萩原健一さんは『台詞はさ、言いたくなるまで言わなくていいんだ。台詞はその気持ちになったとき発するものだから。器用なことをしようとするなよ』って。どれも大切な言葉です」

 

 そして、女優にとって大切にすべきことに気づいた。それは「普通の生活」だという。

 

「初井言榮さんのご自宅にお邪魔したときのことです。当時、私は『芝居が難しい』と悩んでいました。初井さんが『天ぷらを揚げましょう』と台所にお立ちになったのでお手伝いをしました。

 

 すると『あら、上手に揚げられるじゃない。普通の生活ができれば役者はできるのよ。演じることは上手に台詞を言うことじゃなくて日常の普通のことをすることなの」と教えてくださいました。それが今の私にできているか自信はないですが」

 

 4月8日に出演映画『今はちょっと、ついてないだけ』が公開される。主人公はかつて脚光を浴びた写真家。バブル崩壊で仕事がなくなり、表舞台から姿を消していた。

 

 そんな彼に再び写真を撮る喜びを思い出させたのはシェアハウスに集った不器用な仲間たちとの出会いだった。そこから思いがけない人生の「敗者復活戦」が始まるというストーリーだ。

 

「人々がコロナで苦しんでいる今こそ観ていただきたいんです。『頑張れ』と励ますのではなく『そのうちきっと、なんとかなるよ』と優しく包み込んでくれる映画です」

 

 かとうに「最近のちょっとついていないこと」を聞くと「千切りをする調理器で指を切ったことです」と笑った。その笑顔はとてもチャーミングだった。

 

かとうかずこ

1958年2月20日生まれ 愛知県出身 大学在学中の1979年に舞台『広島に原爆を落とす日』のヒロインとして本格的に女優デビュー。翌1980年、ドラマ『マリーの桜』(TBS)の主演に抜擢される。1981年『なんとなく、クリスタル』で映画初出演にして初主演。その後も舞台、テレビドラマ、映画に出演し、幅広く活動している。伊吹有喜原作の小説『今はちょっと、ついてないだけ』(光文社文庫)を映画化した同名映画(4月8日公開)にも出演

 

【東坡】
住所/東京都渋谷区神宮前3-24-9 
営業時間/18:00~24 : 00 
定休日/休日曜・祝日
※新型コロナウイルス感染拡大の状況により、営業時間、定休日が記載と異なる場合があります。

 

写真・野澤亘伸

 

( 週刊FLASH 2022年4月12日号 )

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