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上島竜兵さんの「リアクション芸」その陰にあった必死の努力「心の準備がないとダメなんだよ」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.05.11 21:00 最終更新日:2022.05.11 23:06
上島さんと言えば、誰もが認める、日本を代表するリアクション芸人です。筆者も含め、後輩の芸人たちはダチョウ倶楽部(上島さん、肥後克広、寺門ジモン)のリアクション芸を見て育ち、学んでいきました。
以前、筆者はダチョウさんのリアクション芸についてお話をお聞きしています。
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ダチョウさんのリアクション芸が最初に開花したのは『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)です。しかし、出演当初は林家ペーさん・パー子さんなど、共演者にキャラクターの強いメンバーが多く、意外にもダチョウさんたちの影は薄かったのです。
その状況を打破したのが上島さんだったと言います。
肥後「『浮島カラオケ大会』というコーナーがあって、その浮島まで上島が泳いでいき、そのときにお尻を出して……」
ジモン「その竜ちゃんのお尻を俺が開いて、リーダー(肥後)がマイクを突っ込むっていうのをやったの。番組はゴールデンの時間帯だったけど、放送されるかどうかは関係なくて、俺たちは、たけしさんを笑わせるためにやったの。それでたけしさんが『あいつら面白いな』ってなって。そこからいろんなゲームに参加させてくれるようになったんですよ」
上島「当時は裸で走り回っても、モザイクをかけて放送されたよね。あのころはよかったな。さすがに放送されなかったのは、ポール牧さんが飲んでるビールグラスに、俺がうんこしようとしたやつ。たけしさんが大笑いして、俺に『うんこするんじゃない、この野郎!』って(笑)」
若手時代のダチョウさんは、オンエア度外視で体を張り、たけしさんを笑わせることに必死だったのです。
上島さんは、リアクション芸の定番であるバンジージャンプやスカイダイビングなどを数多く経験しています。しかし、決して高いところが得意だったわけではありません。
上島「俺はバンジージャンプは心の準備がないとダメで、いきなり崖の上に連れてこられて『さぁ、上島さん飛んでください』と言われても絶対無理なのよ」
ダチョウ倶楽部さんの代表的なギャグ『どうぞ、どうぞ、どうぞ』が誕生したきっかけも、バンジージャンプの現場で生まれました。上島さんは2時間ほど粘ったあげく、結局、怖くて飛べずじまい。ですが、そのときに『どうぞ、どうぞ』が生まれたと話していました。
番組の企画でスカイダイビングをしたときも、高いところが苦手なことがよくわかるエピソードがあります。
肥後「その企画は、上島とスカイダイバーが一緒に飛んで、そこにパラシュートを持った人が後から追いかけて飛んでくる。空中でパラシュートを上島たちに渡して無事着陸という『007』みたいな世界でした」
ジモン「竜ちゃんが空からバーッて下りて来て、俺たちは『竜ちゃん大丈夫か!』って駆け寄るじゃないですか。それで竜ちゃんの方をパッと見たら、一緒に飛んだスカイダイバーさんが、竜ちゃんのことをパカンって殴ってたの。『え、なんで?』と思ったら、ダイバーさんが竜ちゃんに『おまえクソしやがって!』って(笑)」
上島さんは恐怖のあまり上空で脱糞していたのです。
上島「上空で俺が『漏らした、漏らした』って言ってたら、ダイバーさんは、俺が冗談で言ってると思って『大丈夫、大丈夫』って言ってたの。でも、着陸して脱いだら本当に漏らしてて、パラシュートがうんこまみれになってたから、『ふざけんなよ、この野郎。高いんだぞ!』って言われて(笑)」
このときの取材では、1時間ほどいろいろな話をしていただき、大笑いしました。本当に感謝しかありません。ありがとうございました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。
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