●親が「行ったほうがいい」と快く東京に
――では、実際に絵を学び始めたのは高校卒業後だったと。
そうです。ただ就職の時期になっても、僕はなにも考えていなかったんです。友達が千葉県の公務員試験を受けに行くっていうんで、あわてて僕もついていったら、千葉県庁の観光課に就職が決まりました。
だけど、決まると急に嫌になって「僕の人生は公務員で終わっちゃうのかな」などと思い始めたんです。そうしたら、ちょうど友達に東京の大学に行く、というやつがいて「これだ」とひらめきました。
昔は、東京といったらはるか遠く、憧れの地でした。僕の家は農家ですから、その日は親が田植えをしていたのを覚えています。家に帰るなり「東京に行きたいんだけど……」って恐る恐る打ち明けた僕に、親は田んぼのなかから振り返って「行ったほうがいい」と言ってくれて。快く送り出してくれました。
とりあえず、阿佐ヶ谷にある美術学校へ通うことにして、東京に出てきました。田舎から東京に着くと、もうびっくりです。たくさんのネオンで、空が赤いの。「俺はこんなところで生きていけるのかしら」と、すごく不安になりました。いまでも忘れられない光景です。
――そこから、勉強の日々が始まったんですね。
東京では、みなさんの絵の上手さに圧倒されました。高校時代、自分は絵が上手いと思っていたけれど、比べられないレベル。芸大を目指して何年も通っている、髭の生えたおじさんもいるなかで、当時18歳の僕は驚くばかりでした。
でも、のこのこ田舎には帰れませんから、いちばんうまい人の後ろにイーゼル(画架)を立てて、描く様子をじーっと見て学んだんです。
帰り道では、新宿の「世界堂」で大きな石膏像をひとつ買って帰りました。目白にある3畳のアパートに住んでいたので、石膏像を置くと寝る場所がない。足は廊下に出して寝て、絵を描くときも、廊下に出て描いてました。それが、本格的に絵を学び始めた最初です。
――その美術学校には、どのぐらい通われたんでしょうか
1年間通いました。頑張っているとだんだん成績も上がって、学内コンテストで3位以内に入れるようになってきました。翌年には東京藝術大学を受けに行こうとしたんですが、また途中で嫌になってしまって(笑)。理由は忘れてしまいました。
そんなある日、山手線に乗っていたら、中吊り広告で「和光大学」という大学を、偶然見かけました。よく見たら「芸術学科」もある新設の学校らしく、行くところもないから、行ってみようと思い立ったんです。
面接の試験官には「みんな絵が下手だから、僕がみんなに絵を教えます。入れてくれませんか」と話したら、「お前おもしろいやつだな、入れてやる」と言ってくださって。
新進気鋭の先生が集まるいい学校だったんですが、僕はこんな人間ですから、あまり学校に行かず、絵を描くときだけ顔を出していました。当時は学生運動も盛んでしたから、まともな授業はできなかったんです。
( SmartFLASH )