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70年代カネボウキャンギャル服部まこ 今は日本舞踊の名取に
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2014.09.25 16:00 最終更新日:2016.02.22 18:14
’70年代から’80年代のテレビ全盛時代に活躍したスターの現在に会ってくる特別企画。ブラウン管から微笑みかけるアイドルたちは、けっして手の届かない天使や、こちらの心をかき乱す小悪魔ばかりのように見えた、あのころーーテレビは輝いていた。
「東京・日本橋生まれで、生まれたときから日本舞踊に親しんできました。40歳になったとき、原点である日本舞踊をもう一度、本気でやってみようと」
そう話すのは、’78年、カネボウ化粧品のキャンペーンガールとしてデビューした服部真湖(まこから改名)。山村流愛ふみ派名取・山村昇湖。これが現在のもうひとつの名前だ。
「いちばんのピークは20代前半。そのころ家を買いました」と服部は当時をふり返る。女優としてもキャリアを重ねた彼女。だが、人気絶頂だった’82年、芸能活動を休止して単身ニューヨークへ。
「15歳からお仕事をしていて、大人の世界にずっといた。だから一度、誰も自分のことを知らない国に行って、自分を外から見てみたかったんです。一時はそのまま引退も考えてました。NYではダンス教室に通ったり、ずっと自分磨きをしていました。でもありがたいことに仕事のオファーが途切れなかった。一度も私、芸能界を休業したことはないんですよ」
子育てが一段落した’95年に帰国。
「当時はまだ日本人が珍しく、ダンス教室でも『日本人らしさ』が要求される。自分は日本人だ、と再確認したんです。それが日舞を再開した理由です。年齢を言い訳にせず、自分磨きを続けていきますよ」
(週刊FLASH 2014年9月30日・10月7日号)