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田中要次 国鉄勤務時代に映画と出会い俳優の道へ…目を留めてくれたのは竹中直人だった

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.06.19 11:00 最終更新日:2022.06.19 11:00

田中要次 国鉄勤務時代に映画と出会い俳優の道へ…目を留めてくれたのは竹中直人だった

20代後半。照明助手をしながら役者を目指していた田中要次

 

■ミュージックビデオ出演で鉄道員から俳優へ

 

「外遊びをするよりプラモデルを作ることが好きな子供でした。小学2年生のときに入院して、兄がお見舞いにプラモを買ってきてくれました。初めてのプラモだったから夢中になり、誕生日にはフェアレディZの12分の1サイズを買ってもらった思い出があります。ちなみにテレビ東京のドラマ『量産型リコ -プラモ女子の人生組み立て記-』(6月30日スタート)ではプラモデル店の店主役で出ています」

 

 目立つことが嫌いだったわけではなさそうだ。小中学校では放送部に所属。人気DJだったという。

 

「小学校ではオールナイトニッポン風の放送にして、中学校では電波を飛ばしてもいないのにコールサインを作ったり、放送室の窓枠を外して『リクエストボックス』を設置したりしました。先生からは『学校放送に革命を起こした』とほめられましたけど、さすがに『帰って来たヨッパライ』のレコードをかけたら怒られました(笑)」

 

 高校に入学すると音楽に夢中になった。YMOの影響もあり、ゴルフ場でキャディのバイトをして買ったシンセサイザーでTOTO、ポリス、オフコース、横浜銀蝿などをカバー。まさに青春を謳歌した。

 

 田中は高校卒業後、国鉄長野鉄道管理局(当時)に就職した。小学6年生のときに父を亡くしたため、母や親戚から「安定した仕事に就いて家を守るように」と言われていたからだ。レール交換などの保線がおもな仕事だった。

 

 就職して3年たったころ、田中は愛読していた雑誌「宝島」で山川直人監督を知る。初めて観た作品は、三上博史主演の『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』(1986年)。衝撃を受けた。

 

「映画なのに演劇的で、明らかに一般映画と違っていました。それからはあらゆる山川作品を観ました。

 

 その後に山川監督の奥様の仕事を手伝うようになり、山川監督から『バンド、やってたんだって? 出てみる?』とミュージックビデオ出演の話をいただきました」

 

 ロケ現場は北海道。数日だがプロの俳優と過ごした濃密な時間に田中は酔いしれた。うっすらと「JR、退職」が頭をよぎった。しかし、きっかけをつかめずにいた。母のことも心配だったからだ。

 

 そんなある日、田中は自動車事故を起こしてしまう。幸い相手は軽傷だったが……。

 

「もし大きな事故だったら、自分の人生は終わっていたでしょうね。何をやっていても失敗はします。だったら自分で選んだことをやろうと思い、JRに退職を申し出ました。周囲は事故を思い悩んだと勘違いしたようですが、僕自身は前向きな退職でした。母にJRを辞めて東京へ行くと言ったら、激怒されて食器を投げつけられました(笑)」

 

 27歳で上京。照明助手のアルバイトをしながら出演機会を待った。すると映画『無能の人』(1991年)で、ひょんなことから竹中直人の目に留まる。田中はこの現場で裏方の仕事をしていた。

 

「体型が似ているという理由で、竹中さんの代わりにカメラテストを受けたんです。それを観ていた竹中さんが『こいつ、おもしろい顔をしてるな。どこかのシーンで出てくれないかな』と言ってくださったんです。それでエキストラ出演しました。エンドロールに名前は出ませんでしたが」

 

 その後もオーディションを受け続けた。だが、エキストラばかり。制作会社から「時間があるときでいいから手伝ってよ」と頼まれ、ロケハンのための運転や照明車の運転をした。そこでまた、事故を起こしてしまう。

 

「さすがに落ち込みましたね。落ち込んだんですけど、仕事先の先輩から『お前はもう来るな』って言われたことを『そうか、先輩は役者一本でやれと言ってくれているのか』と思い込み、そこを辞めました」

 

 ついに田中は「これからは役者の仕事しかしない」と決心した。すると本人は「不思議なんですけど」と表現するが、徐々に仕事の依頼が増えた。気づけば映画、ドラマともに200作以上に出演していた。

 

 現在公開中の映画『太陽とボレロ』ではホルン奏者を演じている。もちろん、ホルンを吹くのは初めてだ。

 

「自分から希望したのではなく『ホルンをお願いします』みたいな成り行きでした。

 

 水谷豊監督はとてもお茶目な方です。現場でもジョークを言ってみんなを和ませていましたけど、なぜか僕と六平直政さん、高瀬哲朗さんのスリーショットを撮りたがるんです。だから『監督、なんでですか。我々の頭髪がさみしいからですか?』って聞いたら『そんなことないですよ』と笑っておられました。まあ、僕としては3人でひと組の役だったと思っています」

 

 山川監督のミュージックビデオに出演してから30年以上がたった。

 

「記憶する教科が好きではなかった僕が、台詞を覚えて失敗なく演じなくてはならない仕事を選んでしまったんですよね。今でも本音は『画面やスクリーンに映って作品には存在したいけど、あまりしゃべりはしたくない』。そういった意味では、『HERO』ではハマり役だったのかもしれません(笑)」

 

たなかようじ
1963年8月8日生まれ 長野県出身 佐木伸誘のMV『SEEK AND FIND』(1990年)に起用され俳優デビュー。近年の出演作はドラマ『アバランチ』(2021年、関西テレビ・フジテレビ)、『量産型リコ -プラモ女子の人生組み立て記-』(6月30日より放送、テレビ東京系)、映画『ハウ』(8月19日公開)、『大事なことほど小声でささやく』(2022年秋公開)

 

【海鮮居酒屋 爺】
住所/東京都世田谷区松原3-13-9 
営業時間/火曜~土曜17:00~22:00(L.O.21:00)、日曜17:00~21:00(L.O.20:00)
定休日/月曜、不定期で日曜

 

写真・福田ヨシツグ

 

( 週刊FLASH 2022年6月28日号 )

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