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勝俣州和、踊るピノキオ見て「短パン」スタイルに…参院選特番では珍しく長ズボンで登場

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.07.18 11:00 最終更新日:2022.07.18 11:00

勝俣州和、踊るピノキオ見て「短パン」スタイルに…参院選特番では珍しく長ズボンで登場

 

 7月10日に放送された『池上彰の参議選ライブ』(テレビ東京)に勝俣州和さんがゲスト出演。その際、勝俣さんのプロフィールには『半ズボンがトレードマーク。ピノキオに憧れて』と紹介されていました。

 

 しかし、その日、半ズボンを穿いていなかった勝俣さんに、MCの大江麻理子アナウンサーがツッコむと、「今日は日本にとって大切な日なんで、ちゃんと長いズボンを穿いてきました」と笑顔で説明。

 

 

 実は、勝俣さんと半ズボンは、25年を超える長い付き合いだと、筆者は以前、勝俣さんを取材した際にお聞きしました。

 

「穿き始めたのは『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ)からだと思う。その頃、とんねるずやウッチャンナンチャンの番組で司会を任されるようになったの。

 

 でも、そんなことやったことがないから、うまくいかないわけ。ディレクターに番組終わりで毎回指導されて。そのときに、僕はテレビに向いてないかもしれないと思ったの」

 

 当時、仕事で悩んでいた勝俣さんは、気晴らしにディズニーランドに行くことにしました。

 

「シンデレラ城の前でミッキーやミニーやいろんなキャラクターが出てきて、ダンスを踊っているショーを見てたのよ。

 

 そのときにふと思ったのが、『芸能界でもなんでも、主役っているな。いっぱいいるキャラクターのなかで、芸能界で俺は端っこだ』と思って。

 

 でも、そのショーでは、主役のミッキーやミニーより、端っこで踊っているキャラクターがいちばん元気で一生懸命に踊ってたの。ほとんどのお客さんはミッキーやミニーを見てて、誰も見てないかもしれないのに『なんなんだ、あの子は』と思って。

 

 それで『ああそうか。俺は芸能界で、今いちばん下のいちばん端っこにいるかもしれない。けれど、うまいヘタじゃなくて一生懸命やろう』と。『そうだ! 俺はあの子みたいになろう』と思ったのよ。そのキャラクターがピノキオだったの」

 

 なんと、勝俣さんは自分をピノキオに投影したのです。

 

「ディズニーランドに行った次の日、スタイリストさんに『ピノキオの衣装を用意して』って。そしたら『ピノキオって、鼻ですか? 帽子ですか?』って聞かれて(笑)。それでピノキオの写真を見たら短パンだったから、『短パンで』ってお願いしたの」

 

 衣装を短パンにしたことで仕事も軌道に乗り、さらに仕事以外でも、よい出来事をもたらしたと言います。

 

「俺がピノキオをきっかけに短パンになったことを、ピノキオが知ってくれているの。だから、今でもディズニーランドに行くとピノキオが俺を二度見して、寄って来てくれるの(笑)。子供たちは『なんでピノキオが来てくれんの? パパすごいじゃん』ってなるのよ」

 

 勝俣さんは、プライベートでも半ズボンを穿くようになりました。

 

「街で会う子供が『僕も冬でも短パンを穿いてます』とか、そのお母さんに『ウチの子が短パンを穿き始めたら冬でも風邪を引かなくなりました。ありがとうございます。勝俣さんのおかげです』とか言われるから。

 

 それなのに、俺がゴワゴワの長ズボン穿いてたら『かっちゃん、普段はすごい厚着するんだ』ってなる(笑)。だから普段から穿いてみようかなと思って」

 

 プライベートでも穿くため、昔は年間100着ほど短パンを買っていて、今でも50着くらいは買うそうです。このように勝俣さんと短パンは切っても切れない関係。その関係を一時的とはいえ切らせた選挙は、やはり日本にとって非常に大切だとわかりますね。

 

インタビューマン山下

1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

 

( SmartFLASH )

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