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田中美里 『あぐり』ヒロイン抜擢が開いた女優への道…デビューから3年でパニック障害も経験
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.09.04 11:00 最終更新日:2022.09.04 11:00
東京・立川の古民家を生かしたカレー店「スパイス越境」。コロナ禍を機にオープンしたこの店は、営業は不定期で週に3日ほどしかオープンしない幻の店。マスターは、プロのミュージシャンで、女優・田中美里とは幼馴染みだ。
「スパイスがきいていて本当に美味しいです。毎回メニューが違うので、近所にあればな、といつも思ってしまいます」と、田中はスプーンが止まらない様子。
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「(マスターとは)金沢にいた15歳のころからの知り合いです。デビューするタイミングも同じ時期で、お互いに東京で頑張って続けられているというのは、すごく励みになるというか。頑張ろうというモチベーションになっています」
家族にすすめられて受けた1996年の「東宝シンデレラ」オーディションで審査員特別賞を受賞し、田中は18歳で芸能界入りした。だが、彼女本人は女優になりたいという気持ちはなかったという。
「すごく人見知りだったので、女優が自分に合っているのか疑問でした。憧れて入る人が多い芸能界に、何も知らずに紛れ込んでしまった感覚に近かったのかもしれないです」
翌年には、美容家・吉行あぐりの自伝をドラマ化した連続テレビ小説『あぐり』(NHK)のヒロインに抜擢されて華々しく女優デビュー。そのときは、「信じられない」というより、「なんで私だったんだろう?」という気持ちが強かった。
「(あぐり役は)オーディションだったのですが、児童劇団でちょっとお芝居をしたことがあるくらいのほぼ素人だった私が受かるとは思ってもいませんでした。今考えても、あのときは見えない力に背中を押されていた感じ。すごく不思議な気分でした」
家族が喜んだ朝ドラのヒロイン。ただ、環境の変化に驚くことも多かった。
「全然連絡がなかった方たちからも連絡をもらったり。自分が変わらないのにまわりがどんどん変わっていくことに戸惑いを感じました。
そしてなにより、お芝居のことを本当に知らなくて。夢中で演じていたら、いつの間にかカメラの前から消えていたなんてことは日常茶飯事。もう日々勉強でした」
金沢から出てきて、右も左もわからずに奮闘する田中を支えたのが、『あぐり』のスタッフとキャスト一同だ。
「義母を演じた星由里子さんは私の体を心配して、毎回お弁当を作ってきてくださって。本当に皆さん家族のように和気あいあいと接してくださり楽しかったです。
NHKは、仕事の現場というより親戚の家、お芝居を教えてくれた学校みたいな存在でした。そのイメージは今も変わらないです」
楽しい現場だったが、番組終了時に義父を演じた里見浩太朗から言われたひと言を今でも覚えているという。
「『これからプロとしての仕事が始まるよ。厳しい世界だけど頑張って』と。実際に次の現場に行って、本当にこの言葉が染みました。自分の実力不足とみんなの期待、現実とのギャップに悩みました」
1998年、最終回の視聴率が23%を超えたドラマ『WITH LOVE』(フジテレビ)でヒロインを務めるなど、田中は『あぐり』後も活躍した。だが、心はいっぱいいっぱいだった。やめたいという気持ちが込み上げるも、「まだ演じる楽しみもわかっていないのでもうちょっと頑張ろう」とギリギリで踏みとどまっていた。しかし2000年、パニック障害を発症してしまう。
「自分の実力が追いつかないジレンマみたいなものは感じていました。当時は喜怒哀楽の喜と楽があればいいと思っていたのですが、やっぱりそれだけではダメだったんですよね。痛さとかつらさを大丈夫と見て見ぬ振りをしていたら、体が壊れちゃいました」
体調がおかしいと感じたのはドラマ『一絃の琴』(2000年、NHK)の撮影中だ。動悸がしてエレベーターに乗れなかったり、台詞が出ず、体が動かないこともあった。
「竹下景子さん、篠田三郎さん、山本陽子さんら錚々たるキャストとご一緒だったのですが、皆さん本当に優しくて。お芝居ができなくなったときに山本さんから『わかっているから、何も言わなくても大丈夫よ』と励ましの言葉をいただいたり、竹下さんが監督に『私ができることはないですか?』と言ってくださったり。自分は人に恵まれているとあらためて感じました」
当時のことを「この経験があったから今があると思う」と振り返る。
「監督には『今は分厚くて高い壁に感じるかもしれないけど、いつかはそれが障子くらいの薄い壁に思えるときがくる。だから今は乗り越えなくてもいいから続けていってほしい』と言われたんですよ。
あそこで『乗り越えなくてもいい』と言ってもらえたのは、すごく楽になりました。芸能界で踏ん張っていられるのはこのことがあったからだと思います」
芸能活動を3カ月間休止した田中は、映画『みすゞ』で五十嵐匠監督と出会い、自由に芝居をする楽しみを知る。
「五十嵐監督は厳しく、そこにみすゞさんがいないと撮ってくれませんでした。それが最初は難しく、理解できず……。ただあるときから、みすゞさんだからこう動くみたいなことを頭で考えなくなり、自然と体が動くようになっていったんです。撮影だからとセーブしていたことが取り払われた瞬間でした。
それからは、演じることを気負わず、楽しいと感じるようになりました」
今では、「20代で悩んでいたことは、障子一枚の薄い壁になった気がする」という。
「演技には正解がないので確実にクリアするという感覚はないですが、振り返ったときに、こういうこともできるようになったと気づかされることが多いです。それも、続けているからこそです」
最近は好奇心を指針に作品を選ぶことが多い。全国で順次公開中の映画『人』では、感情が豊かなお茶目な母親を演じている。
「演じたことがない役をいただくと、可能性を見つけてくださった気がしてすごく嬉しくなります。
この作品では津田寛治さんと夫婦役を演じているんですが、以前、映画『山中静夫氏の尊厳死』(2019年)でも夫婦役を演じたんですよ。役によってまったく違う夫婦になるのは本当に不思議でおもしろい。だから役者はやめられないんですよね」
年を重ねるにつれて、自分とのつき合い方がわかってきた。神経質に悩んでいた20代が遠い過去のよう。
「最近、どんどん楽天的になってきて(笑)。ちょっとの失敗も笑えるようになりました。
ちなみに以前は仕事のことで精いっぱいで自分に時間をかけることが下手だったのですが、今は趣味で鉛筆画や書道を始めたり、帽子をデザインしたりと、自分のやりたいことにも目を向けることができています。そして、これがすごく楽しい。仕事も趣味も、今がいちばん楽しんでいます」
やっと「マイペース」を手に入れた彼女。これからどんな演技を見せるのか期待したい。
たなかみさと
1977年2月9日生まれ 石川県出身 1996年、「東宝シンデレラ」オーディションで審査員特別賞を受賞。1997年に連続テレビ小説『あぐり』(NHK)のヒロインに選ばれ女優デビュー。『WITH LOVE』(1998年、フジテレビ)、映画『みすゞ』(2001年)、大河ドラマ『利家とまつ』(2002年、NHK)などに出演。韓国ドラマ『冬のソナタ』などでチェ・ジウの吹き替えも担当している。2019年には、彼女自身がプロデュースする帽子ブランド「Jin no beat shite cassie」を立ち上げるなど、活躍。出演映画『人』が全国順次公開中
【スパイス越境】
住所/東京都立川市高松町2-1-23
営業時間/11:30~14:00
定休日/月曜~木曜 ※営業日は、Instagram(@spice_ekkyo11)で確認
写真・木村哲夫
ヘアメイク・根津しずえ