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榎木孝明 「学芸会並みの演技」と罵倒されたことも…45年の俳優人生、いまだ夢見る本格時代劇の撮影
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.11.20 11:00 最終更新日:2022.11.20 11:00
鍋には「さつまおごじょ」特製のタレと油がほどよく温められていた。そこに鹿児島六白黒豚のバラ肉、ロース肉をくぐらせた。芳醇な香りと油ベースながらしつこさがない深い味わい、やわらかな黒豚肉のうまみが口内に広がると榎木孝明の顔がほころぶ。
「事務所が近いのでお店とは十数年のおつき合いになります。鹿児島出身なので薩摩料理を食べたくなるとお邪魔します。焼酎も地元の蔵元から取り寄せた、東京ではなかなか見かけない銘柄があるので楽しみです。もっとも最近はお酒がめっきり弱くなりましたけど」
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郷土料理と「実家の近くに蔵元があります」という芋焼酎の「伊佐美」に舌鼓を打つ榎木の背筋はピンと伸びている。20代のときに、薩摩藩を中心に伝わった古流剣術「示現流」を習い、修得した故だろうか。
「時代劇に出演するようになり、ご宗家の『刀を抜くことは生か死の選択。責任を持て』という言葉は、立ち居振舞いの作法や精神性とともに役者の私をとても助けてくれました」
榎木になぜ俳優になろうと思ったのかを聞いた。
「武蔵野美術大学に合格して鹿児島の田舎から上京。見るものすべてが刺激的でした。さらに『誰も俺のことを知らない』と思えば気楽です。新しいことを始めようと決意しました」
そのとき、目に留まったのは週刊誌の広告だった。
「そこには『あなたもなれる。明日のスター』という劇団員募集の広告が載っていたんです。『俺もスターになれるのか?』とオーディションを受けたら合格。後日、指定された場所に行くと受験者全員が受かっていました(笑)」
この小劇団には大学に通いながら2年間在籍した。裏方に興味を抱いた榎木は、舞台作りや照明助手、さらには演出などを手伝った。
「そのとき出演者の芝居を見て『俺のほうがうまいんじゃないかな』なんて生意気にも思い、表舞台に立ちたくなりました。同期の多くが大きな劇団の試験を受け始めたので、私も劇団四季の入団試験を受けました。文学座や劇団青年座、演劇集団円なども考えましたが、四季の試験日がいちばん早かったんです」
合格後、学業との両立は難しいと思い3年生のときに中退、「俳優」になる目標を明確に打ち立てた。当時の四季は舞台オーディションを受けて参加していた市村正親、鹿賀丈史、滝田栄、久野綾希子さんなどが舞台を彩っていた。
「皆さんとても輝いていて、研究生だった私は『いつかあの場所に立ちたい』と憧れました」
四季の創立者で演出家の浅利慶太氏は演技指導が厳しいことで知られていた。
「怖かったですね。緊張の連続でした。だけど『芝居は “そう思って、そう演ずること” がすべての基本だ』という言葉は、今でも私の役者としての指針になり大切にしています」