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【追悼】高橋幸宏さん YMO『ライディーン』巨額の印税を生んだドコモ携帯着信音への採用
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.01.16 16:26 最終更新日:2023.01.16 16:32
1月11日、日本を代表するミュージシャンの高橋幸宏さんが、脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎のため亡くなった。70歳だった。
高橋さんは1972年、「サディスティック・ミカ・バンド」のドラマーとしてデビュー。1978年に細野晴臣(75)、坂本龍一(70)とともにYELLOW MAGIC ORCHESTRA(イエロー・マジック・オーケストラ)、通称「YMO」を結成。1979年から82年にかけてワールドツアーを開催し、“テクノブーム” を巻き起こした。YMOが世界の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。
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「デビュー当初、元『はっぴいえんど』の細野さんと、スタジオミュージシャンとして超売れっ子だった教授(坂本)は、音楽業界内でのバリューが大きかったため、高橋さんは控え目に見えていました。
ですが、正確なドラミングは定評がありましたね。また、YMOでは作曲家としての才能が開花した。細野さんも教授も稀代のヒットメーカーでしたが、YMO最大のヒット曲は『ライディーン』(1980年6月21日発売)。高橋さんが書いた曲でした」(音楽事務所関係者)
その『ライディーン』について、坂本は2011年、自身のTwitterで誕生秘話を明かしていた。
《【忘れないうちに集団記憶とするため】ライディーンは、録音が終わったある夜、幸宏と西麻布の裏のバーに飲みに行き、幸宏が鼻歌で歌ったものを、ぼくが紙ナプキンに書き取り「明日、これ録音しよう!」と盛り上がったのでした》
対して、高橋さんは《ライディーンはいつも教授がそう言うんだけれど、アルファのスタジオであそこのピアノに向かって初め、Am,Fmaj7っていうキーで考えた記憶があるんだよね。教授が書きとめてくれたのは、中国女じゃない?か、ライディーンのBの部分じゃなかった?》とTwitterに投稿。
その後、YMOの初代マネージャーだった日笠雅水氏が《ライディーンは幸宏さんがお家でキーボードで作ってスタジオに持ってきました》とTwitterで明かしている。
細かなディティールは不明だが、『ライディーン』は2ndシングルとしてリリースされ、オリコン15位を記録した。
「『ライディーン』はYMOを代表する曲ですが、じつは、YMOのなかでいちばん印税が多く発生した曲といわれています。世界的にヒットしましたし、カバーも多いのですが、じつは、日本で携帯の着信音が流行り始めたとき、ドコモの携帯の着信音として内蔵されたんです。着信音は、著作権が切れたクラシック音楽が主流でしたが、ドコモとしては『ライディーン』で若い世代を取り込みたかったのでしょうね。この印税が大きかったそうです」(前出・音楽事務所関係者)
Twitterには、高橋さんへの追悼メッセージのほか、着信音のエピソードが数多く投稿されている。
《ガラケーの着信音といえばライディーンだった》
《docomoの着信音に必ずライディーンが入っていて、高校生のころ授業中に一斉にライディーンを鳴らすっていうイタズラが流行ったのよ…》
《ガラケーには必ずライディーンが着信音で入ってたね。あれで初めて聴いたんだよな》
《携帯の着信音=ライディーンと言っても良いぐらいあっちもこっちも流れたのを覚えてる》
名曲『ライディーン』には、たくさんの思い出が詰まっているのだ。
( SmartFLASH )