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『Dr.コトー』出演中の朝加真由美 アイドルとしての挫折…体当たりの演技が開いた女優人生
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.01.29 11:00 最終更新日:2023.01.29 11:00
東京・飯田橋のビルの一角にあるアットホームな雰囲気のフレンチレストラン「ル・クープシュー」。女優・朝加真由美は、店がこの地に移転する前、新宿にあったころからよく通っていた。
「今から40年ほど前、窓からろうそくの火が見えるおしゃれなお店を見つけたのが始まりです。入ってみたら雰囲気があり、料理もすごく美味しくて。一気に気に入りました」
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それから、食べることが大好きな彼女の “特別な場所” になった。
「偶然入ったお店が、自分の愛するお店になるっていうのはおもしろいです。今では私にとって欠かせない場所のひとつです」
料理を作って人に振る舞うことも好きという彼女。美味しいものに対するこだわりは昔から強かった。
「小学生のころは、朝食でご飯が炊けたらすぐに私を起こしてとお願いしていました。炊き立てのお釜をかき回すのが大好きで(笑)。あの匂いが本当に幸せにしてくれるんですよ。
私、地方にロケに行ったら必ず地元の美味しいお店を探すんです。サウナも好きなのでロケ先ではその街の銭湯に行くのですが、銭湯とホテル間にあるよさげな雰囲気のお店を見つけては晩酌するのが幸せな時間なんです」
今ではドラマや映画の母親役として欠くことができない存在になった朝加だが、デビューのきっかけは雑誌のコンテストだった。
「コンテストの副賞としてヨーロッパ旅行があって、海外に行きたいという気持ちから応募しました。そのときは、坂口良子さんが優勝して私は行けなかったのですが(笑)。
芸能界に入って新しいことをしたい! という気持ちでいっぱいでした」
16歳でデビューした後は、アイドル、女優、バラエティタレントとして活動した。
「でも活躍は……していないです(笑)。最初の挫折は、アイドルのときかな。声が低くて、もっと高い声を出しなさいと言われ続けました。それが本当に苦痛で……。アイドルにはなれなかったですね」
だが、萩本欽一のアシスタントに起用されたヒット番組『オールスター家族対抗歌合戦』(1973~1976年、フジテレビ)でお茶の間の人気者になった。
「オーディションを受けたらうまいこと受かって。当時はまだ、北海道の訛りを気にしながら話していた気がします。ちなみに萩本さんとは数年前、空港でばったり会って。顔を見た途端、萩本さんが『オールスター』って言うんですよ。私もすぐに『家族対抗』って口にして、最後には2人で『歌合戦』と自然とハモりました。何十年もたっているのに体は覚えていました。『久しぶりだね』とかの挨拶ではなく、さっとこういうことができるのは本当に粋。あらためてセンスが違うと感じました」
当時はまだ仕事に対して自分の意志がなく、流されていただけだったと振り返る朝加。そんな彼女が変わったのは、体当たりの演技を見せて話題を呼んだ映画『純』(1980年)だ。
「最初のころは、言われた仕事をただ黙々とやっていたのですが、そのような状況を変えたい気持ちはあって。でも何もできず、歯がゆかったです。それが『純』で一緒に作品を作るという楽しみを知り、この仕事がおもしろいと気づきました。監督から意見を求められることも初めてでしたし。いい思い出です」
仕事に対しての責任感が強くなっていった。
「私たちはできたものをお見せする仕事なので、制作過程での愚痴や言い訳は意味がないと気づきました。だからこそ受けた以上は責任を持ってやらなきゃいけないし、納得できない仕事は受けないほうがいいと考えるようになりました。当時はまだ子供だったこともあり、事務所ともよく喧嘩をしました。
今思うと、かなり生意気で失礼な子供でした」
1991年に出産したことでも仕事について考えさせられた。
「家ではすべてにおいて子供を第一に考えて動いていたので、仕事場では “自分がやれることだけ” を考えればいいと気づき、すごく楽になりました。どこか割り切ることができたというか。 “母は強し” ではないですが、精神的にも強くなったんじゃないかな。そして最近はどんなことでも楽しめるようになりました」