5月19日、上岡龍太郎さんが肺がんと間質性肺炎のため81歳で亡くなった。すでに密葬を済ませており、お別れの会なども開かれないという。
「上岡さんは1960年に『漫画トリオ』としてデビュー。解散後は司会者として圧倒的な人気を誇り、大阪では “関西ナンバーワン司会者” などと称されました」(芸能記者)
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40年間の芸能生活のほとんどを大阪で活動した上岡さんは、1990年代、東京に殴り込みをかけている。
「東京では、1988年から大阪制作の『鶴瓶上岡パペポTV』(読売テレビ)が放送されていましたが、1990年に本格的に進出。『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(フジテレビ系)や『EXテレビ』(日本テレビ系)の放送が始まりました」(同)
そんな矢先の1990年2月20日、上岡さんは本誌に東京に対する違和感を語っていた。
「やっぱり、まだうまくはいかんね。番組に参加する素人が違う」
取材日の2週間前には、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』の第1回めが放送されたばかり。「局の電話は視聴者からの賛否両論でパンク状態」だったと担当プロデューサーが合いの手を入れた。
「大阪で売れたヤツが東京で売れてもオモロない。東京で売れるいうのは、東京の枠組みに入ってしまうことや」
「東京は笑いの使い捨て文化。何枚でも引いたら出てくるティッシュペーパーみたいなもんや」
などと公言していた上岡さんは、さらに本誌に「東京? ●●●の●●●●みたいなとこやね」と、当時でも伏せ字を入れざるをえなかった言葉で毒づいた――。
2000年、芸能生活40周年を期に「実力の限界を知るに至った」と語って引退。その後は、「老け込んだ姿を見せたくない」と公の場に出てくることはほとんどなかった。美意識を貫いた81年の生涯だった。
( SmartFLASH )