「とにかくインテリジェンスにあふれた人で、僕ら弟子に対しても、理知的な『上岡龍太郎』の顔で接してくれていました。しかも優しくて……」
訃報からわずか数日、気持ちの整理がつかないながらも、本誌に心境を打ち明けてくれたのは、タレントのぜんじろう(55)だ。
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彼が師と仰いだ上岡龍太郎(本名・小林龍太郎)さんの死去が公表されたのは、6月2日のこと。5月19日、肺がんと間質性肺炎により亡くなった。享年81だった。
2000年4月の芸能生活40周年を区切りに、上岡さんは人気絶頂のなか、公言していたとおり芸能界から引退した。
そうした我を貫き通す姿勢をはじめとして、『探偵! ナイトスクープ』(朝日放送)では、VTR内容に激怒することもあった。“社会実験番組” として伝説に残る『EXテレビ』(読売テレビ制作、日本テレビ系)でも見せていた硬派な一面を、私たちは覚えている。
しかし、上岡さんの愛弟子、ぜんじろうは違う一面を見続けてきた。
「僕が弟子入りしたとき、師匠にはこう言われたんです。
『僕は、もうある程度の年齢になってしまいました。プレスリーにせよビートルズにせよ、時代というのは若い人が出てきて作り替えていくもの。いつでも、若い人の言うことのほうが正解なんです。むしろ、僕が君にいろいろ教わりたいくらいです』と。
18歳の若造である僕にですよ」
伝統芸能にせよ、師弟には厳しさとしきたりがつきもの。あいさつ、かばん持ち、身のまわりの世話……しかし、上岡さんはそれらをおおいに嫌っていた。
「師匠が部屋に入ってきたときに、僕が反射的に背筋を伸ばしてあいさつしたら『軍隊やないねんから、そうやって立ち上がるな! 君は芸人なんやから、そこでおもしろいことを言いなさい』と言うんです。それで僕が懸命に、昨日あったことを一から十まで話そうとすると『あのな、しゃべりすぎ。そこまでしゃべれと誰が言うたんや』とさえぎられて、反省しきりでした。
でも、じつはこの話には後日談があります。僕の後に弟子に入った人にも、師匠は同じ注意をしたんですが、彼は僕と違ってちょっとしか話さなかった。すると師匠は『君ね、誰かに “何か話せ” と言われたら、しゃべりすぎるのがお笑いの基本なんです。それに対して、“誰がそこまでしゃべれ言うたんや” と返すことで笑いを取るんです』と。
僕がしゃべりすぎたのは、お笑いとしては正解だったんだと後でわかりました」
上岡さんは芸能界引退後、極度に人前に出ることを避けていた。一度だけ、故・立川談志さんのお別れの会では、懇請されてやむなくスピーチを務めたが、帰りがけにボソッと「出たないんや。また僕、これでヘコむよ」と漏らしたという。
ただ、弟子の前では芸を披露することがあった。
「最後に対面できたのは、コロナ禍前の忘年会でした。師匠はまだお元気で、自分で作った漫談のような芸を僕らに披露してくれました。
それがなかなかおもしろいので、そう伝えると『そうか。まあ、発表の場がないんやけどね』とオチをつけて、また笑いを取ったり。僕も悪ノリして『ほな、それ僕がパクらせてもらっていいですか』と返したりしていました。その日の師匠は、楽しそうにしていましたね」
その後も、電話で上岡さんと交流を続けていたというが、2023年の初めに、ぜんじろうは異変を感じていたという。
「僕自身、批判を浴びることがたびたびあって、落ち込んでいるときはすがるように師匠に電話で相談していましたが、入院されていたのか、近ごろは電話を取ってくださらないことが続いていました。それでも、今年になって初めての電話には、不思議とすぐに出てくれたんです。
まず『お体の調子はどうですか?』と聞くと、師匠は自分が診断された難しい病名の数々を、例の立て板に水の調子でスラスラとまくし立てました。
ネタのつもりなのか、ただ真面目にそうしているだけなのか、そこで僕も『師匠、しゃべりすぎ。病気のことを誰もそこまで聞いていません』とツッコんだんですが、師匠は電話口で咳き込んでいました。
そんな体に負担をかけてはいけないと思って、早々にこちらから切ろうとしたんです。そうしたら『ちょっと待って』と僕をさえぎって、『いつでも、僕は君の舞台を観に行くからね。ライブが決まったら必ず留守電で伝えてね、いつでも行くよ』と念押しするように言うんです」
いま思えば、それは「天国からいつでも行くよ」という意味だったのか――。
「最後の電話になることが、師匠にはわかっていたのかもしれません。そうとも知らず、最後のお礼も伝えられなかったことは、悔やんでも悔やみきれません」
それから息を引き取るわずか2週間前まで、上岡さんはぜんじろうを含む関係者に “ジョークメール” を週1回ほどのペースで一斉送信していた。
「たとえば、『大腸がんキャンペーンのキャラクター “ミャクミャクくん” 見たよ』などと、1行だけ書いてある。ミャクミャクは大阪万博の公式キャラクターで、大腸がんとは関係がない。でも、あの赤いモコモコした部分が大腸に見えないこともないので、クスッと笑ってしまうんです。どれにも必ずかわいい絵文字を入れてるんですよ。
だんだん楽しみになってきて、『次はいつやろ』と思っていました。5月3日に来たのが『今日は(横山)ノックさんの命日です』という内容。
そして、次が息子さん(映画監督の小林聖太郎氏)から訃報を知らせるメールでした。僕らの前では最後の最後までおもしろくて、カッコよくて、博識で、つねに弱者の味方をする『上岡龍太郎』を演じてくれたんだと思います」
引退後も盟友たちの葬儀、通夜にかかさず顔を出していた上岡さん。自身は静かに逝くのが、また美学だったのかもしれない。