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ダウンタウン・上岡龍太郎と仕事を重ねた大阪名物Pが語る「型にはまらぬ3カ条」/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.06.18 16:00 最終更新日:2023.09.02 23:10

ダウンタウン・上岡龍太郎と仕事を重ねた大阪名物Pが語る「型にはまらぬ3カ条」/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

 

 先の見えない時代ですが、こんなときこそ求められるのは、業界や職種の垣根を超え、マルチな仕事をこなす能力ではないでしょうか?

 

 今回ご紹介するのは、テレビを中心に、ラジオ、音楽、出版などさまざまな分野で活躍する西田二郎さんです。本職は読売テレビのチーフエキスパートですが、「Nj」として多方面で知られています。

 

ダウンタウンDX』や『EXテレビ』(いずれも読売テレビ)など、平成から令和にかけて、数々の高視聴率番組を制作。過去には、タレントに頼らないバラエティ番組『西田二郎の無添加ですよ!』でMCを担当し、民放連盟賞優秀賞を受賞されています。

 

 

 西田さんはサラリーマンにもかかわらず、ラジオ番組『Nj on the Radio』(FM大阪)のパーソナリティを務めたり、自ら作詞・作曲した楽曲『ロコの星』でNjとしてメジャーデビューを果たしたりと、会社の枠を越えて活動。

 

 著書には、堀江貴文氏と西野亮廣氏のベストセラー『バカとつき合うな』(徳間書店)の公式便乗本『バカともつき合って』(主婦の友社)もあります。

 

――サラリーマンでここまでバラエティに富んだ活動をしている方は珍しいと思います。もともとお持ちの資質に秘密があると思うのですが、どんなお子さんだったのですか?

 

「人気者になりたいと思っているヘンテコな子供でした。ただ、昔から映像でイメージが浮かぶほうだったので、学校ではよく提案したものが採用されました。

 

 たとえば、小学3年生の頃、みんなで学校をよくするための標語を考えたのですが、どこに貼ろうかという話になり、毎日、目に入る階段の段差の部分に貼るのはどうかと言ったら、その意見が採用されました。のちに貼った紙がはがれてきて、景観が汚くなってしまったのは想定外でしたが(笑)。

 

 アイデアが受けて生徒会役員になったこともあります。立候補したとき、全校生徒の前で話をするのが恥ずかしくて、自分の似顔絵を描いてその裏にカンペを貼りました。まったく顔を見せない演説が受けて、見事に選ばれました。

 

 中学でも生徒会長になり、ヤンキーと学校をつなぐ潤滑油の役割をしていました。朝礼のとき、ヤンキーがからんできたら、壇上からマイクを渡すようにしたのです。そのうち、ヤンキーは全校生徒の前で話す内容を考えるようになり、悪行よりいかに受けるかを考えるようになったんです。その結果、風紀がたいへんよくなりました。

 

 大学時代には、関西最大規模のミニコミ誌を2万部も制作しました。仲間と企業をまわって営業し、制作費80万円を集めたのはよかったのですが、中身が何もできていなかったので、あとから苦労しました(笑)」

 

――どうしてテレビ局を受けようと思ったのですか?

 

「就活では、友人と電話で面接の練習をしあっていたのですが、明日、読売テレビを受験するという友達の電話に付き合っていたところ、志望理由がまるで冴えない。

 

『それじゃあ落ちるから、ほかの理由を考えよう。100人に1人しか受からないなら、100人に1人しか言わないことを考えよう』と、他の志望理由を提案したんです。ですが、彼にはそれが受け入れられませんでした。

 

 僕はどうしてもテレビ局の人に聞いてもらいたくて、そのときのアイデアを携えて、後日、読売テレビを受験しに行きました。ちなみに『関西の街の人たちだけでバラエティを作りたい』という内容なんですが、自分の信じたテレビ論を伝えたいという気迫が伝わったのか、まさかの内定をいただくことができました」

 

――入社後、活躍のきっかけとなった番組は?

 

「1977年から続く読売テレビの名物番組『鳥人間コンテスト』が大好きで、ちょうど国がハイビジョン放送の開発に力を入れていた1992年、ハイビジョン用の試験番組を担当しました。

 

 地上波と違い、試験番組なんで見ている人はほとんどいなかったのですが、その番組がフランスのモントレーで開かれた国際エレクトロニック・シネマ・フェスティバルで監督賞をいただきました。

 

 地上波用の番組に比べて使える素材が少ないぶん、自分のやり方でやったのが受けたのだと思います。審査員の大島渚監督からは、『これは自分の表現で作ったあなたに対する評価です』とお褒めの言葉をいただきました。まさかまさかの連続でしたが、これが転機になりました」

 

――先日亡くなった上岡龍太郎さんやダウンタウンさんとも長く仕事されてきたそうですね。

 

「『EXテレビ』は、先日亡くなられた上岡龍太郎さんがMCでした。打ち合わせで、私はざっくりした表現で説明するタイプなのですが、上岡さんは説明が少なくても、企画の本質を見抜いて感性でそれを受け取ってくれました。松本さんへの接し方も上岡さん流でしたね。

 

『ダウンタウンDX』では、僕が前説もやっていました。お客さまは笑ってくれるのに、松本人志さんは『お前の笑いはわからない』と言われたんです。これは嬉しかったですねぇ。

 

 だって、わからないということは、松本さんにはない何かを自分が持っているということですから。松本さんに “笑い” の俎上で語ってもらえてることがビックリで、有頂天になりました(笑)。

 

 あるとき、『ダウンタウンDX』のゲストに上岡龍太郎さんが出演することになりました。浜田さんは『上岡さんにはもっと飛び込んで突っ込んだほうがええんやで。失礼なくらいにな。そのほうが喜こびはるんや』と言って、番組で大暴れしてくれました。結果的に、上岡さんも上機嫌でとても面白くなりました。

 

 浜田さんは、人との関わり方、距離の取り方が天才的なのです。テレビ史上に残るくらい。逆に、若手がやんちゃでため口を利いても、タイミングがあって、しっかり向き合っていれば、上手に笑い飛ばしてくれます。それだけの器がある人です」

 

――音楽デビューのきっかけを教えてください。

 

「母が病気で倒れ、余命数日というときに、五木ひろしさんに歌ってほしいと母が書いていた詩に曲をつけ、意識のない母に向けて歌ったんです。母はその後、意識は戻らなかったものの、3カ月も頑張ってくれました。

 

 そのエピソードをフェイスブックにあげたところ、第一興商さんの目に止まり、2018年にメジャーデビューを果たしました。

 

 いまも東京と大阪でライブをやっていますが、いつもしゃべりまくってから歌に入ります。聴いているうちに涙する人もいて、歌っている自分も泣いてしまうことがあります。そんな人間だから、自分の作った番組を見てめっちゃ泣いたりもするんです(笑)」

 

――感情を揺さぶり、みんなの心を同調させることができる表現者ですね。なぜそれができるのですか?

 

「ふだんはみんな、自分のなかにある “湿地帯”、いわゆるジメジメした部分を表に出さず生活していますが、それを表に出させてしまう何かがあるんですかね。

 

 たとえば、『リトル・マーメイド』を見たとき、僕は人魚姫(アリエル)が王子と添い遂げられるかではなく、娘を王子のところに行かせ、ワカメに変えられてしまったお父さんの心情にフォーカスするんです。すると、何回見ても、お父さんに感情移入して泣いてしまう」

 

――物事のとらえ方がユニークですね。西田さんが次々とチャンスをものにしてきた理由は、やはりその感性なのでしょうか?

 

「最初からまるで期待されてなくて、他人から見ると読めない部分が多いジョーカーのような存在なんだと思います。だから、やりたいようにやれたところもありました。後輩には『あなたが自分の番組の一番の視聴者になりなさい』と伝えています」

 

――素晴らしい先輩で、社員の鑑ですね。

 

「いえいえそんなことないですけど。番組の方向性はざっくりしか説明できないですが、仕事に関してはジョーカーとしてきっちり語りますよ。これも上岡さん仕込みですかね(笑)」

 

■型にはまらず、才能を発揮しながら活躍するための3カ条

 

(1)「自分」を枠にはめない
(2)相手をリスペクトして感謝する
(3)どんなことにも興味を持つ

( SmartFLASH )

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