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かとうれいこ クラリオンガール選出から人生が一変!「空港では身動きがとれなかった」売れっ子時代

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.06.18 11:00FLASH編集部

かとうれいこ クラリオンガール選出から人生が一変!「空港では身動きがとれなかった」売れっ子時代

かとうれいこ

 

 東急東横線・学芸大学駅から徒歩10分。目黒通り沿いにある「大黒屋」でかとうれいこと待ち合わせた。昭和33年に創業した米穀店が発祥で、とろろに卵を落として青のりをかけた「月見」を麦ごはんにかけた「麦とろごはん」が評判だ。この日、かとうが注文したのは看板メニューである「麦とろ紅鮭定食」だった。

 

「家族と初めてお邪魔したのが10年前です。お昼なら定食、夜ならお酒をいただきながら一品料理を楽しませていただいています。主人はあまり(酒が)強くないので、私一人が飲んでいる感じですけど」と粕漬けの風味がほんのり甘く香る鮭を一口食べ、デビュー当時の思い出を語ってくれた。

 

 

「短大2年のとき、渋谷で雑誌のカメラマンさんから声をかけられたのが芸能界入りのきっかけです。しばらくしてイエローキャブの社長だった野田(義治)さんと乃木坂の喫茶店でお会いしました。野田さんが親しくしていたお店で、中に入ると当時の大きな携帯電話で話をしている方が見えました。声がすごく大きくて『あの人が野田さんじゃなければいいな』と思ったんですけど、(目印の)ヒゲを生やしてメガネをかけていたのはその方だけでした(笑)」

 

 当時、イエローキャブのトップアイドルは堀江しのぶさんだった。しかし、かとうが事務所入りして間もなく病のため早世する。野田氏の憔悴しきった様子を見たかとうは「頑張って野田さんを支えたい」と心に決めたという。だが、イエローキャブのタレントは「水着」が定番。迷いはなかったのだろうか。

 

「水着グラビアのお仕事は『芸能界の登竜門』だと思っていました。野田さんからも『こういう仕事から始まっていくんだよ』と言われました。

 

 プライベートではワンピースの水着しか着たことがなかったのでビキニはちょっと恥ずかしかったですね。胸が大きいこともコンプレックスでしたから」

 

「登竜門」は間違いなかった。

 

 1989年、かとうは約5000人の応募者の中から「第16代クラリオンガール」に選ばれた。この日から生活は一変した。

 

「キャンペーンで全国に行くと、新幹線のホームや空港にカメラを持った方がたくさんいらっしゃって身動きが取れないほどでした。当時は今のようにSNSなどがありませんから、どうやって情報を得ていたんでしょうね。びっくりしました。

 

 事務所から禁止されていたことは特になかったです。恋愛禁止も言われなかったと思います。ただ、家に帰ったら野田さんに電話をすることになっていて、帰りが遅くなると留守番電話に『まだ帰っていないのか』とメッセージが何件も残っていました」

 

 1991年にはアサヒビールのイメージガールにも選ばれ、雑誌のグラビア、写真集、イメージビデオなどの撮影が連日のように入った。

 

「3社が相乗りで海外撮影することもありました。夜に成田空港を出発してサイパンに到着。朝からA社、次の日はB社、最終日はC社みたいな。帰国後に出演した番組の録画を見たら、私だけが日焼けで肌が異様に黒くて驚きました」

 

 女優、歌手としての活動も多くなったかとう。思い出に残っているのはビデオ映画の『大人になりたいーtoo many rules』(1991年、東北新社)だという。

 

「小学5年生の女の子が、朝起きたら精神年齢は子供のままで体だけが大人になってしまうんです。そして『ひと夏の大人の経験』をするというストーリーがすごくおもしろくて。その後もいろいろな役を演じさせていただきましたが、クラリオンガールに選ばれたころに通った演技のワークショップに忙しくて行けなくなってしまって、『あのときにもっと演技の基礎を学べていたらなあ』って少し後悔したことがあります」

 

 世代的には松田聖子ファン。歌うことは好きだった。

 

「最初のころはカバー曲のリリースが多かったです。1990年のデビュー作品もイギリスのソニアさんが歌ってヒットした『LISTEN TO YOUR HEART』です。翌年には郷ひろみさんもカバーした南佳孝さんの『モンロー・ウォーク』を歌わせていただきました。撮影でロサンゼルスに行ったとき、キラキラの衣装をたくさん買って、それを着てCDのジャケット撮影などもしました。

 

 デビューCDが発売されたときはショップに行って、恥ずかしかったですけど一枚だけ買いました。並んでいるのを見たら、やっぱり嬉しかったですね。コンビニの書棚で私が表紙になっている雑誌を見つけたときは、さりげなく前のほうに並べていました」

 

 2001年、テレビ番組で共演したこともあるプロゴルファーの横尾要と結婚。これを機に、かとうは芸能活動を休止した。

 

「主人がアメリカツアーに参戦する時期だったのでサポートすることを優先しました。現地では想像以上に大変なことばかり。アメリカは広いので、西海岸から東海岸への移動が海外旅行のようでした。練習ラウンド中はホテルで洗濯など身のまわりのことをして、試合はコースで応援。慣れない環境もあって、キャディさんも含めて全員が食あたりをしたこともありました」

 

 意外だが、かとうは数年前までゴルフ経験がなかった。

 

「それなのにプロアマ大会に出場させていただきました。ホント、皆さんにはご迷惑をおかけしたと思います。ゴルフを始めたのは子供が大きくなってからですが、今は『趣味はゴルフ』というほど好きです。とはいってもスコアは100くらいですけど。主人からのアドバイスはほとんどないですね。一緒にラウンドすると少し教えてくれますが、基本、教えてくれません」

 

 こうしてプライベートも充実していた2012年に芸能活動を再開させた。

 

「子供が小学校の高学年になるので『いいタイミングかな』と。久しぶりの現場は楽しかったですね。だけどスタッフの皆さんが自分より年下だったことに『時の流れ』を感じました。芸能のお仕事をお休みする前は、ずっと年上のスタッフさんに囲まれていましたから。『これからは、下の世代から流行や情報を吸収することが多くなるんだろうなあ』と思いました。そうしないと時代の波にはのっていけませんからね」

 

 そう苦笑するかとうだが、最近はK-POPにハマり、ガールズグループ・TWICEのライブに行ったそうだ。

 

「メンバーの皆さんがきれいでびっくりしました。曲も8割くらい知っていたので『私、かなり知ってるじゃない』と嬉しくなりました」

 

 芸能デビューから35年になる。今後はどのような活動を視野に入れているのだろうか。

 

「いろいろなことにチャレンジしたい気持ちはあります。まずは『これ、私にやれるかなあ』と興味を持った分野から入っていきたいですね。写真集ですか? ここ数年、同世代の女優さんがリリースしていますが、皆さんステキな表情をしていらっしゃって。『いいなあ』と思いながら拝見していました。だから写真集もタイミング、でしょうか」

 

かとうれいこ
1969年2月19日生まれ 埼玉県出身 1989年に「第16代クラリオンガール」、1991年に「アサヒビールイメージガール」として活動。その後はグラビアアイドル、歌手として活躍。女優としても『もう誰も愛さない』(1991年、フジテレビ)、『あなただけ見えない』(1992年、フジテレビ)、NHK大河ドラマ『八代将軍 吉宗』(1995年)などに出演。ハーブティーソムリエとハンドケアセラピストの資格を持ち、趣味はゴルフ、フラダンス

 

【お米と麦とろ 大黒屋】
住所/東京都目黒区碑文谷5-7-2 グレイビル碑文谷1F
営業時間/昼の部11:00~16:00、夜の部16:00~21:00(L.O.20:00)
定休日/水曜、ほか不定休あり

 

写真・木村哲夫、長谷川 新
スタイリスト・高梨未希
ヘアメイク・谷中美穂

( 週刊FLASH 2023年6月27日号 )

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