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奈緒『あなたがしてくれなくても』最終話は酷評の嵐だが、実は納得のリアリティ【ネタバレあり】

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.06.23 18:02FLASH編集部

奈緒『あなたがしてくれなくても』最終話は酷評の嵐だが、実は納得のリアリティ【ネタバレあり】

 

 賛否両論が巻き起こり、酷評する声も非常に多い結末となった最終話

 

 恋愛カウンセラーを生業にしている筆者としては、ドラマの結末としていいか悪いかはおいておくとして、非常に生々しいリアリティのあるラストだと感じた。

 

 6月22日に最終話(第11話)を迎えた奈緒主演の『あなたがしてくれなくても』(フジテレビ系)。夫婦間のセックスレスとダブル不倫を題材にしたドラマである。

 

 主人公・吉野みち(奈緒)は、結婚して5年になる夫・陽一(永山瑛太)と基本的に仲はいいものの2年間セックスレス。それが原因で夫婦間がギクシャクしてきていた。

 

 

 一方、みちの会社の上司・新名誠(岩田剛典)は愛妻家のイメージを持たれているが、実は彼も妻・楓(田中みな実)とセックスレス。同じ境遇に悩む “戦友” として共感し合ったみちと新名は、心の距離を縮めていき――というのが大筋のストーリーだった。

 

■【ネタバレあり】ファンがイライラした3つの要素

 

 最終話の1話前(第10話)のおさらいをしておくと、みちと陽一、新名と楓の2組の夫婦はそれぞれ離婚が成立。

 

 晴れて独身同士になったみちと新名がひっつくかと思われたが、新名の「好きです。ずっと一緒にいてください」という告白を、みちは「気持ちには応えられない。誰にも頼らず一人で生きていきたい」とフッてしまった。

 

 そして迎えた最終話。結論から言うと、約1年後にみちと陽一が復縁するという結末だった。

 

 この結末に対してネット上の声を見てみると、好意的にとらえて納得している人もいるが、どちらかというと酷評している意見が多い印象。

 

 ネガティブな声を要約すると、みちに対する下記の3点で不満を募らせる視聴者が多かったようだ。

 

・みちは「誰にも頼らず一人で生きていきたい」と新名をフッたのに、陽一に未練たらたら

 

・みちと陽一は子作りの価値観の違いで離婚したのに、その原因はうやむやのまま復縁

 

・みちは思わせぶりな態度で新名を振り回すだけ振り回して、新名夫婦を壊しただけ

 

 これらの批判の声は、ごもっともな的を射た意見だと思う。

 

 だがそのうえで、年間1500件ほどの恋愛相談を受けている筆者から言わせてもらうと、みちの言動とこの結末はかなりリアルであり、ある意味、納得度はとても高かった。

 

■なぜ主人公は一貫性がなく、ズルいことをしてしまうのか

 

 ここからは、なぜ主人公・みちは言動や決断に一貫性がなく、ズルいことやヒドいことをたくさんしてしまったのかを考察したい。

 

 まず一般論的な話からさせていただくと、世の中には「自分の気持ちは自分が一番わかっている」と思い込んでいる人が多いが、実は自身の心理状態を正確に理解できていない人は、けっこうな割合で存在する。

 

 たとえば、恋愛相談では「別れてからようやく、自分にとってあの人(元恋人)がいかに大切だったかに気づいた」なんていうセリフはよく聞くが、それはつまり、「交際中は自分の気持ちを正確に把握していなかった」とも言い換えられるわけだ。

 

 また、矛盾する2つの本音が存在することを心理学用語でアンビバレントというのだが、恋愛においてアンビバレントな心理状態に陥るのもよくあること。「好きだから一緒にいたい」という本心と「もう無理だから別れたい」という本心を同時に抱えていることは、めずらしくないのである。

 

 さらにいうと、その矛盾する2つの本心が常に5割と5割で均等にあるわけではなく、ときに3:7、ときに8:2のように揺れ動いており、おのずと行動には一貫性がなくなるもの。

 

 だから、みちの言動から分析すると、彼女は陽一に対してアンビバレントな感情を抱いており、なおかつその自身の心理状態をきちんと理解していなかったのだろうと考察できる。

 

■みちの “醜さ” や “弱さ” こそ、人間らしいリアリティ

 

 ほかにも、みちと陽一は子作り問題が離婚の大きな理由だったにもかかわらず、その原因を解決・解消する目途も立っていないのに、復縁したかのように見えた。

 

 ただこれも、“臭いものには蓋をする” ような精神状態で、問題を見て見ぬフリしてしまうのは、弱い人間にありがちな行動である。理性的にきちんと問題解決してから次に進むことを放棄して、本能のおもむくままに大事なプロセスをすっ飛ばしてしまうわけだ。

 

 これらの要素を総合的に考えていくと、なぜみちは言動に一貫性がなく、結果的にズルい立ち振る舞いをしてしまっていたのかという理由が見えてくる。

 

 そして、筆者に恋愛相談をしてくる人のなかにも、みちのようになってしまう人は決して少なくない。

 

 そのため、みちのそういう “醜さ” や “弱さ” こそ、人間らしいリアリティだと感じたのだ。

 

 善人のような人間が自分に都合のいい決断を下して、周囲の人間関係をぐちゃぐちゃにしたのに当人は幸せヅラをしているという結末は、現実の恋愛でもよくあることである。

 

 ただ、誤解しないでもらいたいのだが、筆者はみちの生き方を賞賛しているわけではないし、エンタメ作品の最終話としてこの結末がよかったのかどうかも別問題だと思っている。

 

 6月29日には、最終話で描かれなかった空白の数カ月などにスポットを当てた「特別編」が放送されるという。この特別編で酷評していたファンの留飲を下げて納得させられるか、それとも特別編が蛇足となってさらなる批判の嵐となるか、注目である。

堺屋大地

恋愛をロジカルに分析する恋愛コラムニスト・恋愛カウンセラー。『日刊SPA!』に恋愛コラムを連載中。ほに『現代ビジネス』『文春オンライン』『集英社オンライン』『女子SPA!』などにコラムを寄稿

( SmartFLASH )

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