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清野菜名『日曜の夜ぐらいは…』タイトルの意味が深く突き刺さる最終話、シンプルに泣ける名作【ネタバレあり】

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.07.03 18:40FLASH編集部

清野菜名『日曜の夜ぐらいは…』タイトルの意味が深く突き刺さる最終話、シンプルに泣ける名作【ネタバレあり】

 

 全方向で幸せに満ちた大団円の最終話。とてもよかった。

 

 かなりのご都合主義がベースとなっていた物語だが、鬱々とした気持ちになりがちな日曜の夜ぐらいは、ありえないような力業を使ってでも、心の芯からぽかぽかするドラマがあってもいい。

 

 ――清野菜名岸井ゆきの生見愛瑠が演じる3人の女性の友情を描いた『日曜の夜ぐらいは…』(テレビ朝日系)が、7月2日に最終話(第10話)を迎えた。

 

 

 主人公・サチ(清野)は古ぼけた団地で車イスの母と2人暮らし。母の介助をこなしながら、生活費を稼ぐため、ファミレスバイトに精を出す苦労人だ。タクシー運転手の翔子(岸井)や田舎のちくわぶ工場で働いていた若葉(生見)も、それぞれ重く暗い事情を抱え、息が詰まるような日々を過ごしていた。

 

 そんな3人が、とあるラジオ番組のバスツアーで出会い、絆を深めていく。

 

 3人で買った宝くじが1等3000万円の当選となり、それを元手に3人でカフェを開くという目標に邁進してきたが、最終話でとうとう念願のオープン初日を迎えた。

 

■【ネタバレあり】カフェ盛況で主要キャラ全員が幸せに

 

 ネタバレで結論から言うと、最終話はこれといった嫌な出来事やトラブルなどは起きず、ただただ登場人物たちが前向きに幸せになっていく姿が描かれた。

 

 オープンしたカフェは初日から大盛況で上々の滑り出し。来店するお客さんはみな笑顔で、サチたちが目指していた心地よい癒しの空間になっていた。

 

 カフェに強盗が押し入るというミニエピソードもあったが、若葉の祖母がスタンガンであっさり撃退して、すぐに笑い話のようになっていた。

 

 順調だったのはカフェだけではない。サチは自身のダメ父と、若葉は自身のダメ母と不和があったが、そのダメ父とダメ母が少しだけ改心して歩み寄るシーンが描かれ、雪解けの兆しが見えたのもほっこり。

 

 奇跡的に宝くじが当たり、突然舞い込んだ大金のおかげでカフェを開業できたわけだから、主要キャラたちの幸せは超ご都合主義の土台で成り立っている。

 

 一般的には、主人公たちの努力が結実して幸せをつかむのがセオリーなので、主人公たちの幸せが完全に運任せのラッキーに依存しているという物語はあまりない。

 

 けれど、ミラクル展開で主人公たちがどんどん右肩上がりで幸せになっていくストーリーも、明日から仕事で気が重くなりがちな日曜の夜ぐらいはアリだと思えた。

 

■人生に絶望していた主人公の成長が涙腺を刺激する

 

 最終話では、主人公・サチの心の成長が明確に描かれたので、ここまで彼女の物語を見守ってきた視聴者の胸を打ったと思う。

 

「ダメなんだけどなぁ、こういうの。楽しいのダメなんだけどな。楽しいことあると、きついから。きついの耐えられなくなるから。私はきついだけのほうがラクなんだよ」

 

 第1話でサチが吐露していたこの言葉は、最終話でも回想で流れた。楽しいことがあったぶんだけ、つらいときのきつさが増すという理由で、どん底にいた当時のサチは、いっさい友達も作らずにいたのだ。

 

 そんなサチに翔子と若葉という無二の親友ができたのだが、サチの想いは親友以上に膨れ上がったようだ。実は翔子も母親と確執があったのだが、結局、翔子と母親は会うことなく物語は終幕。そんな翔子の境遇を慮ったサチの心中のナレーションで、こんなセリフがあった。

 

「壊れて元に戻れない家族もあるんだと思う。悲しいし、つらいことだけど、それは仕方のないことなのかもしれない。でも、私たちがケンタ(翔子のニックネーム)の新しい家族になればいいんだと思った」

 

 第1話では、楽しいことやうれしいことを自ら遠ざけ、友達さえも作ろうとしなかったサチが、赤の他人だった翔子や若葉と “家族” になろうとしている……これはシンプルに泣ける。

 

■ラスト10分にあふれた「こんなことあったらいいのに」の希望

 

 また、ラスト10分ほどの段階から、サチの「こんなことがあったらいいのにな」という想像がいくつか描かれた。そのなかに、翔子と母の不和が解消される場面をはじめ、仲間や家族にいろいろなハッピーが舞い降りるシーンがあった。

 

 これらはあくまでサチの想像なので、実際に起きた出来事ではない。だが、サチがそういう幸せを想像できるようになったことがなによりの変化なのである。

 

 ちょっと先のハッピーな未来を妄想してニヤニヤするなんて、誰にでもできると思うかもしれないが、幸せを望んではいけないと自分に呪いをかけていたサチにはどうしてもできないことだったのだ。

 

 自分は幸せになれないと決めつけ、楽しいという感情が芽生えないよう自ら思考停止し、ただ生きていただけ。そんな彼女が、未来の幸せを願うことができるようになるなんて、とてつもない成長ではないか。

 

 どんなにご都合主義でも、どん底にいた主人公たちがひたすら幸福になるドラマが、『日曜の夜ぐらいは…』あってもいいと思えた。思わず涙した、すばらしい名作だったと思う。

堺屋大地

恋愛をロジカルに分析する恋愛コラムニスト・恋愛カウンセラー。『日刊SPA!』に恋愛コラムを連載中。ほに『現代ビジネス』『文春オンライン』『集英社オンライン』『女子SPA!』などにコラムを寄稿

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