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鶴田真由 業界入りのきっかけはCMのエキストラ…人気絶頂時の葛藤を解消させた“気づき”とは
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.09.03 11:00 最終更新日:2023.09.03 11:00
「大学生のころ、『美味しいお蕎麦屋さんがあるよ』と、友達に連れてきてもらってからのご縁です。今は事務所も近くにあるので、よく食べに来ます。最近は混んでいるので、並んでいるのを見るとあきらめちゃうんですけどね」
鶴田真由は箸で蕎麦を一口運ぶと、「美味しい」と微笑む。
麻布十番の商店街を歩いて7、8分ほどの「総本家 更科堀井」は、30年近く通う老舗蕎麦店だ。気の置けない友人や家族と昼時に語らうことが多い。さらしなそばに季節のものを打ち込んだ「季節の変わりそば」がお気に入り。8月は「レモン切」で、ほんのりレモンが香る。
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「夏にぴったりな爽やかな感じがします。かき揚げを一緒に食べるんですが、お箸で割るとサクサクッと音がするぐらい軽く揚がっているんです。あとは玉子焼も好きで、よく食べますね。季節を感じられる変わりそばは、柚子なども美味しいんですよ」
彼女のハスキーで鼻にかかった美声と老舗蕎麦店の座敷は、妙にしっくりくる。業界入りのきっかけは、高校2年生のときに従兄弟から誘われたCMのエキストラだった。
「高校が成城学園だったので、撮影する東宝スタジオが近かったんです。『友達も連れて来て』と言われて、数人で行きました。当時の高校生にしたら2日でいただけるアルバイト代がよかったので、喜んで帰った覚えがあります(笑)」
当時は女子大生がもてはやされていた時代。成城大学ということもあり、ファッション雑誌やCMにも出演するようになり、大沢たかおと共演した日石の『レーサー100』のCMで注目を集める。
「撮影中に大沢さんに『卒業したらどうするの?』と聞かれて『就職試験を受けようか迷っていて』と答えたら『この仕事好きなんでしょう?』と。『現場は楽しい』と話したら『だったら、続ければいいんじゃない』と言われて、続けてみようかな、と思ったんですよね。当時はCMからドラマへという流れがあったので、『大沢さんは俳優をやられたりしないんですか?』と聞いたら『俺はやらないよ』って。数年後、大沢さんとドラマで共演して、2人で『やってるじゃない!』って笑ったことがありました」
みんなでエネルギーを注いでひとつのものを作り上げていく現場に惹かれ、一社も就職試験は受けずに芸能界へ。演技の勉強をする時間もなく、現場で学ぶしかなかった。
「最初はカメラの前でどうやって笑うの? という感じでした。CMのスチールや雑誌でのポーズもわからなかったので、モデルをしていた事務所の社長がカメラの後ろでポーズを取ってくれたりして、それを見ながら動いていました(笑)」
その後も多くのドラマに出演し、トレンディ女優として大活躍、休みもない日々を送る。20代後半、世間的には売れっ子だったが本人は “行き詰まり” を感じていた。
「たとえば『月9のドラマに出たい』と思っていたことがかない始めたころ、『私がやりたかったことは何だったの?』という思いを抱くようになって。『月9』というのはあくまで『番組の枠』の話であって、本質ではないんですよね。『どんな芝居がしたいの?』『何を表現したいの?』と言われると、途端にわからなくなってしまって。おもしろいスタッフやクリエイターと出会う機会も増えて刺激を受ければ受けるほど、そんな思いを強く抱くようになりました」
この悶々とした気持ちを解き放ってくれたのが、人生初となる一人旅だった。
「よく旅に出ている知人に一緒に連れて行ってほしいと相談したら、『今だと思うなら、今行きなさい』と言われて。それですぐに屋久島へ旅に出たんです。たくさんの人と出会っていろいろ感じることも多く、 “今” と思ったときに行動すると、いろんな気づきがあると学びました。
人生にはいいとき、悪いときの波があるけど、 “とき” は待ってくれない。怖いと思っても『今、この波に乗らなきゃ』と思ったら、足を踏み入れてみる。行動に移せば自分の力になることに出会えるんだって。この経験は大きくて、今では自分の内面からの声を聞き漏らさないように、毎日、瞑想をして意識を整えています」