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田中美奈子、人気絶頂から契約トラブルで “暗黒時代” にーー「今の私を父が見たら悲しむと思ってもう1回頑張ろうと決めた」

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.10.08 11:00FLASH編集部

田中美奈子、人気絶頂から契約トラブルで “暗黒時代” にーー「今の私を父が見たら悲しむと思ってもう1回頑張ろうと決めた」

田中美奈子

 

「一日30食限定なんで、早く行かないとすぐなくなっちゃうんですよ。ズルはしないでちゃんと並んでいます」

 

 田中美奈子がオープン時から通う千葉県・船橋市にある「インド料理 サールナート」には、ここだけの味を求めて訪れる人たちが列を作る。

 

「お客様に迷惑をかけるからと、取材はお断わりしているそうなんですが、どうしてもと頼んだんです。ね、祐ちゃん!」といたずらっぽく話しかけられた店主の小松﨑祐一さんは田中の遠縁。田中が幼少のころ、毎年正月は小松﨑さんの母が作るおせち料理を食べるのが楽しみだったという。

 

 

「地元の同級生と合流して食べたり、東京から友達を連れてきたり、家族でも来ます。子供たちが学校を休んでも来たいと言うぐらい、祐ちゃんのカレーが大好きなんです」

 

 メニューはプレートになっていて、2種類のカレーとご飯とナン、サラダとヨーグルトのセットになっている。

 

「いつも頼むのはバタークリーム。本当に美味しいんですよ。もう一種類は本日のカレーか、祐ちゃんにおすすめを聞いて選びます。ナンは焼き立てで、もっちり。味はもちろん、全体のバランスがいいんです」

 

 田中が芸能界に憧れを抱いたのは、小学3、4年生のころ。ピンク・レディーの全盛期で、夢中になって踊りを覚えた。高校生になると、地元テレビ局の番組に出演する。

 

「クラスメイトがテレビに出たらサーティワンアイスクリームを全種類おごってくれると言うので、応募したんです。本当にごちそうになりました(笑)。そのころからモデルの仕事を始め、学校を早退したりしてましたが、授業では先生も同級生も協力してくれてありがたかったな」

 

 その後、「ミスマガジン」、レナウンの「イエイエガール」の準ミスに輝いて活動をしているときに、最初に所属した事務所の社長にスカウトされた。1989年、『涙の太陽』で歌手デビュー。ドラマ『キモチいい恋したい!』『もう誰も愛さない』(ともにフジテレビ)、『同窓会』(1993年、日本テレビ)など出演作も軒並みヒットし、大ブレイクを果たした。

 

 そんなとき、トラブルが彼女を襲う。

 

「バブルが弾けて投資に失敗した社長が事務所を畳むことになったんです。それで、レコード会社系の事務所にお世話になることになりました。でも、歌手のマネジメントがメインで、ドラマのことはほとんどわからない事務所だったんです。あるテレビ局で決まっていた大作ドラマのお話があったのに、後からきた他局のドラマを無断で決めてしまったんです。不義理を働いてしまったので、事務所の方に一緒に謝りに行ってほしいとお願いしたんですが……それもかなわず。

 

 結局、私一人でご迷惑をかけた局の関係者へ謝りに行きました。何度も頭を下げてお詫びしたのですが、『これは、会社と会社の問題だから』とダメでした。小娘がいくら謝ったところで、事務所として反省する姿勢が見えなかったんでしょうね。しばらく “出禁” になって、ここから私の暗黒時代が始まりました。ね、かわいそうでしょ?」

 

 今だから笑って話せるが、彼女の意思とは関係ないところで起きた “大人のトラブル” 。芸能界をやめようと思った彼女を奮い立たせたのが、亡き父だった。

 

「もともと父は歌が上手でイケメン。レコード会社からスカウトされてオーディションを受けたんですが、あまりの緊張で失敗してしまってダメになったそうです。そのこともあり、私のデビューを誰よりも喜んでくれたのが父だったんです。ドラマの撮影で寝る時間もなく、点滴をして現場に通っていたころ、送り迎えをしてくれたのが父でした。1991年にくも膜下出血で突然、亡くなってしまって。

 

 自暴自棄になっていたとき、ふと今の私を父が見たら悲しむだろうなって思ったんです。父のためにもう一度頑張ろうと、決意しました」

 

 再起を決意した彼女に手を差し伸べてくれたのは、渡哲也さんだった。

 

「渡さんとは『ゴリラ・警視庁捜査第8班』(テレビ朝日)というドラマでご一緒してから、ずっとかわいがっていただいて。渡さんが大腸がんを患われたときは、まわりのみんなに頼んで、3日で千羽鶴を折ってお見舞いに行きました。お亡くなりになるまで、たくさん相談に乗ってくださいました。結婚したときに一番にお祝いを自宅に届けてくださったのも渡さんでした。私にとっては今でも “芸能界のお父さん” です」

 

 周囲の助けもあり、ゼロからキャリアを地道に重ねていった。現在出演中のドラマ『姪のメイ』(テレビ東京系)は、東日本大震災直後に田中がボランティアで何度も訪れた福島県が舞台。両親を亡くした姪を引き取った叔父が、仮移住した福島の人々とのふれあいのなかで成長していく物語だ。

 

「私が演じているのは富岡町でワイン農園を営む地元の人の役。同町に住んでいた親しい友人はこの役を演じることに涙を流して喜んでくれました。共演者の皆さんとは何度もお稽古をして濃密な時間を過ごしたので、嘘のない関係をお見せできていると思います。避難指示が出ていた12市町村で撮影をしたんですが、福島が私を呼んでくれたような気がするんです。福島のお役に少しでも立ちたいです」

 

 このドラマに出演して、また女優への欲が出たという。

 

「やっぱりお芝居は楽しいなと、再認識しました。私は『もう誰も愛さない』で演じた役が強烈すぎて、レッテルを貼られてしまって。皆さんのイメージは、ワンレンボディコンで六本木のネオンが似合うオンナ、ですよね。そう思われることが嫌な時期もありました。でも今は、そんな “もう一人の田中美奈子” を楽しめるようになりましたね」

 

 人生、楽しんだもん勝ち。その思いは彼女の日常にも溢れている。俳優の夫・岡田太郎とは、地元の町内会の活動で仲を深めた “町内会婚” だ。

 

「うちの家族はご近所では “サザエさん一家” と呼ばれているんです(笑)。玄関ドアは開けっぱなし。近所の人が『今日、釣りに行ったから食べなよ』とお魚を持ってきたり、普通に出入りしています。今どき珍しいですよね。まるで昭和のまま、時間が止まってしまっているようです。

 

 あんなことがなかったら……と考えることもあります。でも過去があったから、芸能界以外の方と知り合う機会が増え、いろんな活動を楽しむ今の私がいるんですよね」

 

 波乱の芸能人生は、辛いだけじゃない。口に運んだカレーのようにスパイス(周囲の人)のぶん豊穣だ。

 

たなかみなこ
1967年9月12日生まれ 千葉県出身 1984年に「ミスマガジン」準グランプリを受賞。1989年に『涙の太陽』で歌手デビュー。ドラマ『キモチいい恋したい!』(1990年、フジテレビ)、『もう誰も愛さない』(1991年、フジテレビ)、『星の金貨』シリーズ(日本テレビ)、映画『眠らない街〜新宿鮫〜』(1993年)など多くの作品に出演。パラオ共和国名誉親善大使、Ever Lasting Friends理事長。夫で俳優・岡田太郎と夫婦で日本RV協会公式「キャンピングカーアンバサダー」を務める。現在放送中の『姪のメイ』(毎週木曜24:30〜、テレビ東京系)に出演中

 

【インド料理 サールナート】
住所/千葉県船橋市宮本5-1-8
営業時間/11:15〜 ※1日30食限定。なくなり次第終了。
定休日/水曜

 

写真・木村哲夫、福田ヨシツグ
ヘアメイク・佐々木広美

( 週刊FLASH 2023年10月17日・24日合併号 )

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