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お笑いコンビ「コットン」元アナウンサーの西村は震災きっかけで吉本へ…相方きょんは面接で隣の席

エンタメ・アイドル 投稿日:2024.01.15 11:00FLASH編集部

お笑いコンビ「コットン」元アナウンサーの西村は震災きっかけで吉本へ…相方きょんは面接で隣の席

コットン西村(左)ときょん

 

 1月13日放送の『土曜はナニする!?』(関西テレビ系)に、お笑いコンビ「コットン」の西村真二さん、きょんさん、サッカー元日本代表の槙野智章さんが軽井沢を旅するVTRで出演していました。

 

 西村さんと槙野さんは同じ広島県出身でマッキー、しんちゃんと呼び合う15年来の仲。広島在住時は、西村さんが広島ホームテレビのアナウンサー、槙野さんがサンフレッチェ広島に所属していたのです。

 

槙野「本当に、若手の若手のときからしんちゃんにインタビューしてもらって、よくご飯食べに行って遊んだりしてたもんね」

 

 

西村「なんか嬉しいな。この2人のロケ、最高だわ」と肩をくみ、旧友と仕事ができたことを心底喜んでいました。

 

 コットンの2人は、芸人になる前、西村さんは前述のとおりアナウンサーを、相方のきょんさんも大学を卒業後1年間企業に勤めており、お互い社会人を経験したあと、お笑いの世界に飛び込んでいます。

 

 筆者は以前、コットンのお2人に芸人になった経緯について伺っています。

 

 西村さんは、中学・高校時代からずっと芸人になりたいと思っていましたが、母親の意向により大学へ進学。大学で、いまとは異なる相方と出会ったのですが、社会人を経験したほうが芸人人生にプラスになるという相方の提案を受け入れ、1年間だけ就職することになりました。

 

西村「僕が芸人になる件で相方に電話したら、泣きながら『西村すまん。お笑いできんわ。俺、怖くなっちゃって』って。相方は一流企業に就職して高収入だったこともあったんで……。

 

 それで、相方の赴任先の名古屋まで説得しに行ったんですけどダメでしたね。やっぱ一回涙して決意したやつの気持ちは揺らがないですわ」

 

 安定した収入を得たことで不安定な芸人の世界が怖くなり、同級生コンビでの吉本興業入りの夢は断たれたのです。

 

 西村さんは、アナウンサーを続けながら芸人になることを模索していたある日、東日本大震災が起きました。

 

「東北の知り合いの家族が亡くなったと聞き、『俺もいつ死ぬかわからんし、このまま一生後悔したらいけん』と思い辞表を出しました。でも、そこからいきなり無収入になったんで震えましたけど(笑)」

 

 一方、きょんさんも芸人になりたかったものの大学に行かせてもらったという親への申し訳なさから1年間だけ就職したと言います。

 

きょん「僕も芸人になりたいという気持ちはずっとあったんですが、親になかなか言い出せなくて内緒で吉本に入りました」

 

西村「いや、おまえ、その前にほかの事務所の俳優コースを受けてるやろ! 芸人になりたいとか勘弁してよ」

 

きょん「阿部サダヲさんが好きで……(笑)」

 

 2人は、NSC(吉本興業の養成所)の面接試験でたまたま隣同士でした。芸人になるまでに紆余曲折あったものの、2人は『キングオブコント2022』(TBS系)の準優勝をきっかけに、多数のメディアで目にするようになり、みごと大成しました。2024年のコットンのさらなる飛躍が楽しみです。

インタビューマン山下

1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

( SmartFLASH )

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