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大東駿介、親の蒸発、対人恐怖症の過去と向き合って「いびつな人間だけど、それだって財産」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.02.18 11:00 最終更新日:2024.02.18 11:00

大東駿介、親の蒸発、対人恐怖症の過去と向き合って「いびつな人間だけど、それだって財産」

大東駿介

 

 東京・下北沢の雑踏を抜けると「下北沢の晩酌屋 まぼねん」が見える。大東駿介にとって、ここは最高に居心地のいい場所だ。

 

「約8年前に僕が年越しフェスのMCを務めたときに、店のオーナーのnicoちゃんがあるバンドのサポートで来ていて。同じ関西出身ということで一瞬で意気投合。ちょうど彼が下北にお店を出す時期に、僕も同じ下北で舞台だったので、オープン前の居抜き状態から通っています」

 

 

 大東にとって、この店は出会いの場でもある。

 

「おもしろい人がたくさん来るんですよ。お酒で酔っているのがもったいないくらい熱く語り合いたくなるから、よく飲んでるのはルイボス茶かもしれない。ここは僕にとっての “噺場” 。ふだんは出会いようのない人と出会い、自分にない刺激をもらってきた。

 

 この仕事をしてると、作品によっては鬱々としてきて、殻にこもりたくなる瞬間もあるんです。そんなときはここに来て、リセットさせてもらいます」

 

「まぼねん」には思い出深い一品がある。それは今、食べている「下北そうめん」だ。

 

「7年前にnicoちゃんが『夏を越すと、誰の家にもそうめんが余ってるやろ。それを使って料理にしたい』と言いだして、そうめんを下北に定着させるために考え出したメニューなんです。なかなか根づかないので、ここで全国区になったらええなって(笑)。僕はおなか減らして行くことが多くて『腹が膨れるもんを食べさせて』とお願いしてたんで、そんなときに食べました」

 

 よく笑い、よく食べる。だが、彼が俳優を目指した理由は、そんな姿からは想像できないものだった。

 

「子供のときから映画ドラマが大好きで、めちゃくちゃテレビっ子でした。一人っ子だったんで、一人遊びの延長で演技をするみたいな感じで、俳優には興味がありました。高校で進路を決めるときに、それまではフワフワした夢や希望があったのに、それがいよいよ現実になって形作られる気配を感じたというか。今、自分で行動しなかったら夢や希望はかなわへんなという実感に迫られて、上京しようと思いました」

 

 両親が蒸発し、親戚に育てられた家庭環境だった。当時、大東は自分の存在価値がわからなくなっていた。

 

「自分の居場所がわからない。なんで生きてんやったっけ、みたいな気持ちになって、人生に迷いかけてた時期だった。そんなときに片っ端から借りて観ていたいろんな映画に大杉漣さんが出ていて、『このおじさん、すごいな』って。漣さんの芝居を観てたら、自分の人生を生きなくてもいいんやと思ったんです。

 

 俳優は自分の人生を使って、人の人生を演じる職業ーー。

 

 これがそのときの自分にめちゃくちゃフィットした。変な話、これまでの人生を捨てるために俳優を目指したみたいな。今思えば、自分で決めて進むということが、自分の人生を生きるということだと思うのですが、そのときはまだ考えてもいませんでした」

 

 こうして俳優を目指して18歳で上京した大東は、2年という猶予を決めた。

 

 まずは人と接するのが苦手で対人恐怖症のようになっていた自分を変えようと、アルバイトを始めた。特に恐怖心を抱いていた若者を克服するため、原宿のカフェを選んだ。

 

「ラッキーだったのは、店長が日本に興味を持って3年間大阪に住んでいたオーストラリア人だったこと。彼の雑談が想像を絶する話ばかりで、自分の知らんことが多かった。『それ、どういうこと?』と聞きたいことが溢れてきて、人と話すことは自分から何かを出すことじゃなくて、自分の興味、知りたいことに従うことなんやって思ったんです」

 

 半年で対人恐怖症を克服。その後、バイト仲間の紹介で六本木の会員制のクラブでバイトを始めると、今度は人間力が高い大人たちと毎日接するようになった。いつしか、俳優だけでなく “人間” にも興味を抱くようになっていた。

 

 準備は整ったと自信が持てた19歳の誕生日にオーディションを受けて合格。モデルとしてデビューを飾り、俳優デビューも果たした。

 

 だが、あまりの忙しさで時間に追われる日々は、大東の心をすり減らしていった。

 

「不思議なもので、芝居がしたいという夢があったのに、その夢がかなったと思うと、本来の夢の純度が下がっていくというか。人気者になりたい、ほめられたいと、目的ではない部分が目的に変わってしまった。何がしたかったんや、お前って……。所属していた事務所を辞め、あらためて人生について考えました。ここで原点に戻って、自分がやりたかったものに純粋に向き合えるようになりましたね」

 

 映画監督・松居大悟氏が、大東の役を当て書きで脚本を書いた『自分の事ばかりで情けなくなるよ』(2013年)に出演したことも大きかった。

 

「僕を知り尽くしている彼が当て書きしてくれたことで、全部さらけ出していいんや、鍵をかけていた部分も俳優の財産なんやって。自分はいびつやし、人に誇れるもんなんてないけど、それを世に作品として昇華することができるんだって」

 

 出演する作品に対しての考え方も変わった。

 

「作品が生まれた瞬間が、いちばんエネルギーがあると思うんです。でも、俳優は台本が整った段階で参加するから後乗りになってしまう。だからどうしてこの作品を撮ろうとしたのかとか、その作品が生まれた瞬間を聞くようにしてます。原点に立ち返って知る作業が楽しいし、自分もそれを感じてノッてきます」

 

 一人ひとりとの出会いのすべてがターニングポイントだと話す。その一人が、現在公開中の出演映画『罪と悪』の齊藤勇起監督だ。

 

「『草の響き』という映画で助監督を務めていて、彼の現場での所作から、数々の現場で戦って痛みを背負ってきたのを感じていて。絶対、この人が初監督で撮るときは参加したいと思って『ちょい役でもいいから出してください』とお願いしてたんです。初監督作品は二度とない現場やから」

 

「自分はまわりの人に育ててもらってきた」と話す大東が大切にしてきた人との縁が、新しい扉を開く。

 

「千原ジュニアさんと一緒にドラマをやっているときに『トークバンドをやりたいな』というのでバンドを始めました。1月に初ライブをやったんですが、人の前に立つのは俳優と同じなのに、まったく違う能力を必要としていて。音楽という新しい表現方法を体験させてもらえたのは、大きな財産になりました。これからも出会いに敏感でいたい。一緒にやろうと声をかけられて、自分がおもしろそうだと思ったら参加したい。そのためにも自分が納得する仕事をやっていきたいです」

 

 今日も大東は心の拠り所であるここで、新しい人と出会っていく。

 

だいとうしゅんすけ
1986年3月13日生まれ 大阪府出身 2005年にドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ)で俳優デビュー。おもな出演作は、映画『クローズZERO』シリーズ(2007、2009年)、『37セカンズ』(2020年)、『明日の食卓』(2021年)、『草の響き』(2021年)ほか、連続テレビ小説『らんまん』(2023年、NHK)、ドラマ『仮想儀礼』(2023年、NHK)など。現在は『厨房のありす』(日本テレビ系)、公開中の映画『罪と悪』に出演している

 

【下北沢の晩酌屋 まぼねん】
住所/東京都世田谷区北沢2-9-3三久ビル1-C
営業時間/17:00〜25:00(L.O.24:00)
定休日/無休

 

写真・野澤亘伸

( 週刊FLASH 2024年2月27日号 )

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