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宮地真緒、朝ドラ女優の看板に苦しんで決めた覚悟「ひとつひとつの役をもっと愛さなくてはいけない」

エンタメ・アイドル 投稿日:2024.03.10 11:00FLASH編集部

宮地真緒、朝ドラ女優の看板に苦しんで決めた覚悟「ひとつひとつの役をもっと愛さなくてはいけない」

宮地真緒

 

 宮地真緒の公式Xにはラーメンのポストが多い。「ふらっと寄ったラーメン屋さんが大当たりで嬉しい」でわかるように、撮影の合間にも新規開拓するなど、ラーメン店の探索には余念がない。

 

「ラーメン、大好きです。夫との初デートは横浜の『新横浜ラーメン博物館』でした。

 

 

 ネットやインスタで見つけた美味しそうなお店は『行きたいリスト』に保存しています。『八咫烏』さんもネット検索がご縁で常連にさせていただいたお店です。

 

 初めてお邪魔したときは、レギュラーのラーメンをいただきましたが、牛テールの『限定ラーメン』がどうしても気になって。翌日に再訪して美味しさに圧倒されました。いつもメニューがバージョンアップしているので(行くのが)楽しみです。 “麺線” の美しさなど、丁寧なお仕事を感じさせてくれるんです」

 

 宮地が注文した「特選和牛WHITE(塩)」が運ばれてきた。それを笑顔で見つめる。香りを楽しみ、スープを飲み、麺をすする。

 

「あぁ〜美味しい」

 

 一瞬、間を置いたがすぐにギアチェンジ。一気に食べ進み、スープも残さず完食したのだった。

 

▪️両親に内緒で応募した 「スカウトキャラバン」

 

「芸能界入りしたきっかけは『ホリプロタレントスカウトキャラバン』です。幼稚園のころ、『大きくなったらアイドルになりたい』と私が書いた紙が貼り出されて母を恥ずかしがらせたこともありましたが、応募した当時の気持ち的には『大好きなテレビに出てみたい』という程度だったんです。高校1年生のとき本屋さんに立ち寄り、そこでたまたま見つけたオーディション雑誌にスカウトキャラバンのことが載っていました。その雑誌を買って帰り、付録の履歴書に高校の入学式で撮影した写真を貼って、両親には内緒で送りました」

 

 宮地本人も「期待はしていなかった」そうだが、書類選考を通過した。次は、大阪で地区予選。さすがに隠しきれなくなった。

 

「母に打ち明けたら『なに、アホなこと言ってるの。地に足をつけて勉強しなさい』と言われましたが、最後は『せっかく選んでいただいたのだから受けてみたら』と許してくれました。父にはまだ言えず、母と宝塚ファンの祖母と大阪に向かいました」

 

 大阪地区予選も通過。いよいよ東京での本選である。父親に打ち明けると「これが最初で最後。ダメだったら、ちゃんと勉強しなさい」と送り出してくれた。

 

 結果はグランプリこそ逃したが、最初の所属事務所ホリ・エージェンシーから声がかかり、芸能界デビューの足がかりをつかんだ。

 

 両親との約束で、高校卒業までは地元の学校に通い、芸能活動は週末だけという生活が始まり、2002年、アグネス・ラムや小松千春、松嶋菜々子らが務めた「旭化成キャンペーンモデル」に選ばれた。

 

「当時、私の中で旭化成さんはサランラップのイメージが強かったので、水着を販売していることを知らなかったんです。世間知らずでした(笑)。キャンペーン中は地元の大型スーパーで他校の生徒から指をさされたりして、恥ずかしかった思い出があります」

 

 そして同年、連続テレビ小説『まんてん』(NHK)のヒロインに抜擢された。

 

 本格的な芝居経験がなかった宮地は「現場で覚えていこう。だって私、(演技は)素人だもん」と思うことにしたという。

 

「『病気や過労で倒れない』『台詞は絶対に覚えていく』の二つを守ることは心に決めました。初めてのことばかりだし、台詞を覚えるか寝るかの毎日でしたから、不安もプレッシャーも感じることはありませんでした」

 

 その後、ドラマ『ウォーターボーイズ』(2003年、フジテレビ)、『南くんの恋人』(2004年、テレビ朝日)、ミュージカル『ピーター・パン』(2005、2006年)など話題作に次々と出演した。

 

「『南くんの恋人』では初めてセクシーな役を経験しました。『色気って、なんだろう』という年齢でしたから、監督に『色っぽく迫って』と言われてもわからなかったので、『ルパン三世』の峰不二子をイメージして演技したら『それ、やりすぎです』と言われちゃいました」

 

 思い出しながら笑うが、「20代前半は、もがいて苦しんでいた時期だった」と宮地は振り返った。

 

「『宮地真緒』という名前だけが先に行ってしまい、実力が追いついていないことに悔しい思いをしていました。

 

 そんなときに出合った作品が映画の『失恋殺人』(2010年)でした。そこで初めて濡れ場を経験しました。思い返すとそのころは(朝ドラの)清純派のイメージを捨て去り、本当の『宮地真緒』に近づくための作品を探していた時期だったのかもしれません」

 

 同作の窪田将治監督は厳しかった。何度も話し合いをして、リテイクを重ねることもあった。しかし、それも宮地には新鮮だった。

 

「それまでは皆さんが未熟な私に目線を合わせて優しく演技指導をしてくださっていました。厳しくされることで、俳優として生きていく覚悟ができたのかもしれません」

 

 こうして俳優として着実に成長していった宮地。そんな彼女を支えてくれたのが、かつての事務所の社長であり6年にわたり公私ともに歩んできたマネージャーの存在だ。その彼女は2023年4月に病気で他界したが、宮地に大きな影響を残していた。

 

「家族以外で大切な方を亡くすのは初めてのことでしたし、闘病中もずっとそばにいさせていただき、いろいろなことを教えていただきました。

 

『いつか役作りに役立つかもしれないから、告知を受ける患者、告知をする医者、それを見守る家族、そのすべてをしっかり見ておいてください』と冷静におっしゃいました。

 

 俳優としての財産をたくさんいただき、それは私の残りの人生で大事にしていかなくちゃいけない、背負っていくものだと思っています。今は恩返しも含めて子宮頚がんやHPVワクチンの普及、啓発活動に参加しています」

 

 今年2月に40歳を迎え、俳優デビューから22年になるが、「以前にも増して、ひとつひとつの役をもっと愛さないといけないと思っています」と言う。

 

「たとえば殺人犯の役をいただいても、実際に殺人を経験しているわけではないので行為そのものはわかりませんが、犯人がそこに至るまで『どのような思いだったのか』を理解するための心構えが年々、違ってきています。もっと役を突き詰めて、自分を追い込みたいという思いが強くなっています。だから、これからも『役柄が難しいから』という理由で断わることだけはしたくないんです」

 

 ひとつひとつ言葉を選びながら語る彼女。次はどんな役を演じるのだろうか。それを楽しみにさせてくれる俳優だ。

 

みやじまお
1984年2月2日生まれ 兵庫県出身 2002年に連続テレビ小説『まんてん』(NHK)のヒロインに抜擢され俳優デビュー。2003年にシングル『秋桜(コスモス)/夢先案内人』で歌手デビュー。2005、2006年、ミュージカル『ピーター・パン』に主演。映画『失恋殺人』(2010年)、『恋のしずく』(2018年)に出演するなど活躍。3月16日に朗読劇『Song Storytelling in BAROOM「星の王子さま Le Petit Prince ~きみとぼく~」』に出演予定

 

【トーキョーニューミクスチャーヌードル 八咫烏】
住所/東京都千代田区神田三崎町3-7-13 B1
営業時間/月・火・土曜11:00~15:00(L.O.14:45)、水・木・金曜18:00~21:00(L.O.20:45)
定休日/日曜・祝日

 

写真・野澤亘伸
スタイリスト・豊島今日子

( 週刊FLASH 2024年3月19日号 )

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