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葵わかな演じる『わろてんか』吉本せいの人柄を孫娘が語る

エンタメ・アイドル 投稿日:2017.11.14 11:00FLASH編集部

葵わかな演じる『わろてんか』吉本せいの人柄を孫娘が語る

 

「自分の好きな『笑い』を仕事として選ぶというのは、すごくカッコいい、素敵な決断だと思うし、そういうてんちゃんの生き方に共感します」

 

 ヒロインを演じる葵わかな(19)はインタビューでそう語った。

 

 NHK連続テレビ小説『わろてんか』。老舗薬種問屋の長女でお笑いを愛する主人公・藤岡てんが、松坂桃李演じる北村藤吉と二人三脚で大阪を日本一の笑いの都にしていく物語だ。

 

 主人公・てんのモデルとなったのは、吉本興業の創業者で大正・昭和初期の興行界を席巻した女興行師・吉本せい(享年60)。そして藤吉のモデルはその夫、吉本泰三(享年37)である。

 

 実際のせいの人生は泰三の放蕩ぶりに振り回され、気苦労の連続だった。せいの弟である林正之助の伝記『わらわしたい 正調よしもと林正之助伝』の著者で元よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務の竹中功氏が語った。

 

「せいは興行の世界にはまったく興味がなく、泰三が言いだしたことなんです。せいは放蕩三昧の亭主になんとか一人前の男になってほしいと必死に尽くしつづけた典型的な “やまとなでしこ” です。後年、いつの間にか女傑、女太閤とかいわれるようになって、本人がいちばん驚いていると思います」

 

 せいは1889年、大阪の米穀商の三女として生まれた。小学校を卒業すると花嫁修業もかねて船場の商家に奉公に出される。そして18歳で一流料亭に箸を卸す老舗の問屋「箸吉」の5代目主人、泰三に嫁いだのだ。

 

『笑売人 林正之助伝』の著者であり吉本興業文芸顧問の竹本浩三氏は話す。

 

「夫の泰三はボンボンらしい温厚な性格の男でしたが、商売そっちのけで芝居見物や芸者遊びに夢中の毎日。しまいには馴染みの芸人らを引きつれ、家にも帰らず、1年以上旅巡業に出てしまった」

 

 嫁ぎ先に一人残されたせいは姑の激しいいじめに耐えながら懸命に働くが、主人不在の老舗の経営がうまくいくはずもなく、あえなく廃業の憂き目に。巡業から戻ってきた泰三は戻る場所も仕事もなく、せいの実家に転がり込んだ。

 

「せいの父は、嫁の実家に住みついて働きもしない泰三に腹を立て『もうあんな男とは別れてしまえ!』と激怒しました。ところが、せいは頑として別れなかった。常に夫を『大将』と呼び、つき従っていったのです」(竹本氏)

 

 そんななか、泰三が新たな事業として目論んだのが、趣味を生かせる寄席の経営だった。せいの実家と高利貸しから借りた資金で小さな寄席から始めた経営は、せいの尽力でどんどん規模を大きくしていった。

 

 せいの人柄を、孫娘・吉本圭比子さんが語った。

 

「火事になると飛んで出て、『吉本でっせ』と困っている人におにぎり配って回る。まあ、宣伝ですよね(笑)でも、その根っこには、困った人が目の前にいるのをほっとけへんという、おばあちゃんならではの人情味がありました」

 

 初めて寄席をチェーン展開する、入場料をワンコイン価格にするなど、泰三のアイデアも事業拡大に役立った。

 

 このころ夫婦2人で通天閣の展望台に上って大阪の街を見渡しながら「大阪にはぎょうさん寄席がありますけど、いつかみんな吉本の寄席にしていきましょな」とせいは夫に約束したという。その言葉どおり創業からたった11年で国内に41軒もの寄席を開くまでに急成長。

 

 しかし、1924年、泰三は37歳の若さで急逝する。

 

「愛人宅で脳出血を起こしての死です。やきもち焼きのせいとしては複雑な思いがあったはずです」(竹本氏)

 

 夫の死後、せいは2人の弟とともに現在に続く吉本の基礎を築き上げていく。

 

 1938年には赤字で買い手がつかなかった思い出の通天閣を、周囲の反対を押し切って現在の価格で17億円もの金額で買収する。展望台に上がったせいは「約束どおり大阪の寄席という寄席はみんな吉本になりましたで」と泰三の遺影を取り出して語りかけた。

 

 一代で吉本を築いた女傑は、夫に人生を捧げた、究極の尽くす女だった。
(週刊FLASH 2017年11月7日号)

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