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ブラザー・コーン、乳がん発覚で感じた戸惑い…「抗がん剤副作用」「乳房切除」経て「人に優しくなりました」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.05.02 06:00 最終更新日:2024.06.02 14:41

ブラザー・コーン、乳がん発覚で感じた戸惑い…「抗がん剤副作用」「乳房切除」経て「人に優しくなりました」

「2024年8月には、がんが発覚して延期していた40周年ライブをやります」(写真・木村哲夫)

 

 1983年、『ブルース・ブラザース』の完コピを目指して、ブラザー・コーンとブラザー・トムの2人がバブルガム・ブラザーズ(以下、バブル)を結成。ライブハウス「新宿ルイード」で、佐野元春が持っていた動員記録を塗り替え、レコード会社7社からオファーが届いた。

 

 1985年3月6日、1stシングル『忘れじのエヴリナイト』(作詞・麻生圭子、作曲・伊藤銀次)を発売。1stアルバム『SOUL SPIRIT PART.2』には、佐野元春が詞曲を提供した『SOUL SPIRIT Part II』が収録されている。まずは、佐野とブラザー・コーンの関係から紐といていく。

 

 

――中学時代、佐野元春さんと同級生だったんですよね?

 

「そうそう。当時、俺は“佐野ちゃん”と呼んでたんだけど、一緒にフォークグループみたいなことをやってました。佐野ちゃんと俺と、あと2人いて、4人組でギター持って、PPM(ピーター・ポール & マリー)やCSNY(クロスビー・スティルス・ナッシュ & ヤング)とか、あのへんをカバーしてたんです。『このハモ難しいね』って言いながら、一緒に歌ってね。中学2年のとき、佐野ちゃんはピアノを習っていて、ビートルズの『レット・イット・ビー』のイントロを、俺は教えてもらいました」

 

――佐野さんの「Visitors Tour」のアンコールツアー(1985年)で、共演が実現しました

 

「伊藤銀次さんとね。『WON’T BE LONG』が出る、ぜんぜん前ね。俺たちバブルガム・ブラザーズの知名度はあったんだけど、音楽自体はまだあまり知られてないときだったんでね。あれは佐野ちゃんがうまく演出してくれたよね。『(佐野のモノマネで)今日は僕の幼なじみが来てるんだ。よくキャッチボールをしたんだ。そんな幼なじみが来てくれたんだ。みんなに紹介する。バブルガム・ブラザーズ!!』」

 

――そっくりですね(笑)。その後、佐野さんと一緒に音楽制作を?

 

「高校でバラバラになっちゃったんです。みんな忙しくて集まれなくなって。じつは、佐野ちゃんがプロになったのを知らなかったんですよ。俺がタレントやってるとき、ラジオで、『次の曲は“ナイトライフ”、佐野元春です』って言って、ん? さのもとはる? って(笑)。で、ディレクターに訊いたら、『いま、すごい人気なんだよ!』って。『いや、俺の同級生なんだけど』って。そこまで、佐野ちゃんが音楽家になってるなんて、知らなかった。で、佐野ちゃんに電話してさ、『ごめんごめん、久しぶり。俺さ、佐野元春のことを佐野ちゃんだと思わなくてさ』って(笑)」

 

――バブルは、佐野さんと同じレコード会社、EPICレコードでデビューします

 

「それはたまたま。最初、CBSソニーでデビューすることになっていたんだけど、担当のディレクターがめちゃくちゃカチンとくるようなことを言うヤツで。『お前ら、できんの? ソウルとか知ってんの?』って、超“上から目線”で。なんだこいつ、と思って。事務所の社長に『俺、やっぱCBSソニーいかない。EPICにいきたい』ってゴネて。ツテを使って、ゴリ押しでEPICに入れてもらいました」

 

――佐野さんが『SOUL SPIRIT Part II』という曲を書いてくれました。これは“Part I”があるのでしょうか?

 

「ない(笑)。なのに、“Part II”ってつけるところがかっこいいなと思いましたね。当時は、“Part I”はあるのか聞かれたら、『探せばあるんじゃない? プレミアだから、あれ』と、答えてました(笑)。で、あるときテレビで『“Part I”は存在しない』と明かしたら、『もうバブルにはだまされない!』ってみんな言っていましたね」

 

――大ヒット曲『WON’T BE LONG』について、教えてください

 

「バンドのリハーサルをやってるときに、俺が『こんな曲がやりたい』って、コード譜を渡して、リズムを合わせて、BPM(テンポ)を決めて、全員で音を出しながら作っていきました。そしたら、バンドのメンバーが『これ、いいよ』『ノリがいいし、かっこいいよ』って言ってくれて。EPICソニーの会議でも『次のシングルは絶対これがいい!』って、決まったんですよ。ただ、ディクレターが『今回、トムさんが歌う場所がないんですけど』って言ったら、トムが『俺はいいよ。オリオリ言ってるからいいよ』って(笑)。そしたら、大ヒットしちゃった」

 

――曲が完成したとき、ヒットする感触はあったのでしょうか?

 

「自分がほしかったメロディーラインと、歌いたかったリリック(詩)が一致してるな、とは思いましたね。歌ってて、気持ちいいなと。ただ、ヒットするとは思わなかった。曲って全部、自分の子どもみたいでかわいいんですよ。あのとき、夜中までラーメン食いながら、いろいろ迷ってたよなとか、それぞれの曲に思い出がある。そんな子どもたちに、ランドセル背負わせて『行ってらっしゃい! 出世して帰ってこいよ!』って送り出したら、『ウォンビー』くんが、すごい外車に乗って帰ってきて。『え? お前ひとりだけ?』『うん、後は知らない。どこ行ったかわかんない』みたいな感じ(笑)」

 

――『WON’T BE LONG』がヒットしたきっかけは、『オールナイトフジ』(フジテレビ系)だったとか。

 

「そうなんです。とんねるずの2人とは、素人のころからのつきあいだったこともあって。ヒロミや(木梨)憲武と(石橋)貴明が、この曲大好きで、生放送中に3回もかけてくれてね。トータル12分ですよ。そしたら、フジテレビに『あの曲はなんだ?』って問い合わせが殺到したんです。だから、ヒットしたのは、とんねるずのおかげなんですよ。みなさんの(笑)」

 

――曲が大ヒットしてよかったことは?

 

「お金が入ったことはもちろんなんですけど、NHKの『紅白歌合戦』に出て、全国に知ってもらえたってことですね」

 

 2023年8月、ブラザー・コーンは、男性には珍しい乳がんであることを公表した。現在も抗がん剤治療を続けている。

 

――乳がんが発覚したときのことを教えてください

 

「自覚症状はまったくなかったですね。最初は、背中に脂肪の塊みたいなのができたんで、町医者に行って診てもらって、取ることになったんです。患部に麻酔を打って、ハサミでジョキジョキ切りながら『あー、これ、根が深いね』とか言われながらね、3針縫って。病理検査をしてもらったけど、問題なかったんです。

 

 それから2週間後に、シャワーで胸を洗ってたら乳首の横に、なんかゴリっとする、1cm弱ぐらいみたいなしこりがあったんです。また脂肪の塊がこんなとこできちゃったよと思って、ここ切るのイヤだなと思って。今度は町医者じゃなくて主治医に相談したら、『これ、乳首の横だから、乳腺外科で調べたほうがいい』って。

 

 で、検査したら、乳がんのステージ2でした。幸い早期発見で、リンパにも転移していなかったんですが、乳がんって言われて、ヘンな感じでしたね。抗がん剤治療を始めることになったので、その日のうちに、スキンヘッドにしました」

 

――抗がん剤治療を始めるのは勇気が必要ですよね?

 

「怖いですね。抗がん剤治療を反対する人もいたし、いろんな最先端治療をすすめられることもあったけど、でも、医療チームを信じようと思って。ただ、抗がん剤を始めたけど、副作用に耐えられずにやめた人をたくさん知っていましたし、俺も渋滞中のタクシーの車内で、コンビニ袋のなかに戻してしまったり、福岡まで飛行機で行ったけど、体調が悪くなってトンボ返りしたり。下血があったので内視鏡で調べてみたら、腸の中が切れていて、1週間で2回、内視鏡手術をやりました」

 

――2024年1月、『乳房切除術』がおこなわれました。転移もなく、リンパも無事だったそうですね

 

「がんは切り取れたんです。でも、まだ小さいがん細胞が残ってるんでしょうね。あと半年は抗がん剤治療を続けます。でも、術後に抗がん剤が変わったので、前よりは副作用はなくて、日常生活に支障はないです。ホルモン剤を1日1錠、5年間飲み続けなければいけないけど」

 

――がんになって生き方、考え方などは変わりましたか?

 

「それは変わりましたね。とくに、体を病気にさせないようにするための“ソウル・マインド”。心と体って別物だと思い始めたんですよ。いままで、酒を飲みすぎたりして体をいじめて、俺が俺を病気にさせてたんだっていう考え方です。

 

 これまでの生きるための術が間違っていた気がして、自分の体をもっといやしてあげなきゃいけないなと思うようになりました。そして、やっぱり生きることの大切さを感じるようになったし、人に対して前よりもちょっと優しくなれたような気がします。それはすごく感じます」

 

――今後については?

 

「これからも、歌える限りはずっと歌っていきたい。2023年、40周年で予定していたライブを、乳がんが発覚して治療のために延期したので、リベンジライブをやります。地方でも、どこでも、まだまだやっていきたいと思っています」

 

Bro.KORN
1955年11月5日生まれ 東京都出身 2024年、40周年ライブを8月20日にビルボードライブ横浜で、8月22日にビルボードライブ大阪にて開催

( 週刊FLASH 2024年5月7日・14日合併号 )

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